森耕治の西洋美術史論「レオナルド・ダ・ヴィンチのスフマート画法」

Monna Lisa
レオナルド・ダ・ヴィンチ「モナ・リザ」

16世紀の画家であり、世界最初の美術史の本を書いた、ヴァザリの「画家、彫刻家、建築家列伝」によると、フランダースのヴァン・エイク兄弟によって発明された油彩画技法は、15世紀の半ばにシシリアのアントネロ・ダ・メッシーナによって、イタリア半島に持ち込まれました。ヴァザリの記述には、不正確な点もありますが、少なくとも、フランダースの「うす塗り油彩画技法」は、16世紀の初頭に、レオナルド・ダ・ヴィンチの代表作「モナ・リザ」の「超うす塗り、塗り重ね画法」によって完成したとみなせます。この画法が、有名なスフマートです。

アントネロ・ダ・メッシーナ

スフマート画法に触れる前に、モナ・リザの姿勢に注目してください。モデルの体を30度斜めにおいて、でも視線は画家の方を向いています。このポーズは前述のアントネロ・ダ・メッシーナが取り入れたポーズです。それ以前の。イタリアの肖像画は、モデルを正面から捉えるのが一般的でした。

さて、このスフマート技法というのは「煙のような」という意味があって、たった1〜2ミクロンという超薄のニス状の彩色層を多数重ねて、半透明の輝くような肌と立体感を作る技術です。スフマートによって、モナ・リザの目の付近や口元、また顔面上の非常にデリケートな凹凸が極めてリアルに表現できるようになりました。

特にフランダース絵画の弱点であった、女性の頬の微妙なふくらみの欠如が、スフマート技法によって克服されました。 

スフマートのもう一つの特徴は、「煙のような」という名の通り、目や口元の凹凸、頬のふくらみ等を、一切線を使わずに、ぼかしながらつけていったところにあります。「モナ・リザ」の目の拡大図を見れば、線が見えそうで見えなく、ぼかされていることに気づかれると思います。ただし、この一種の「ぼかし」は、遠くの景色をぼかして描く「空気遠近法」とは別の技法です。

ところで、15世紀初頭のヴァン・エイクの描いた代表作「神秘の子羊」では、彩色層は主に三層に分かれ、厚みの合計が最低約100ミクロン程度はありました。それが「モナ・リザ」では、合計の厚みがたった30ミクロン程度という「超薄型」になりました。しかも、その30ミクロンの層は、一回約1〜2ミクロンの層が積み重ねられて出来上がっているわけですから、ダ・ヴィンチは、逐一乾かしながら、最低15回は塗り重ねたはずです。言い換えれば「モナ・リザ」の彩色層はミクロン単位の多層構造Stratificationといえます。

その極めて薄い多層構造に光が浸透し、一部は彩色層の内部で反射されて外に出るために、われわれの目には透き通るような美しい肌に見えるのです。

ダ・ヴィンチが使った「スフマート」の顔料の成分は近年の化学分析で明らかになりました。99パーセントのシルバー・ホワイトに、1パーセントの赤の顔料、赤色硫化水銀ヴァミリオンを混ぜて、テレピンオイルで非常に薄くニス状に塗ってあります。シルバー・ホワイトは鉛から作られた塩基性炭酸鉛で、鉛白とも言います。古代から顔料として用いられた非常に堅牢な顔料で、たとえ500年たっても白いまま残っているほどです。しかも、大変光の反射率の高い顔料で、ルネッサンス期から、下地に使うと、その上に塗った色の発色がよくなることが知られていました。また、スフマート画法における、肌色の発色の良さの原因の一つでもあります。

アントニオ・ヴァザリ

この「モナ・リザ」は描き始めてから制作に4年かかったと、ヴァザリが著書「画家、彫刻家、建築家列伝」に記しています。その上、背景は、ダヴィンチが晩年にフランスのオンブワーズで加筆したと考えられます。乾かしながら最低15回も塗り重ねるのですから、確かに時間がかかるのは当然です。

しかし、「モナ・リザ」制作に年月を要したもう一つの理由を、大半の美術史家が見落としています。それはスフマート画法には、大変新鮮なテレピンオイルを必要とすることです。テレピンオイルは松から作る揮発精油ですが、中に松脂の樹脂を含んでいて、そのために、塗布後の被膜はごく薄い淡黄色となって、女性の肌を表現するには、理想的な半透明の被膜を形成します。

でも当時、絵の具屋などという便利な店がなく、多分薬局のようなところで、松の木を細かく切って、それを自家蒸留して製造したものしか入手できなかったはずです。 

その上、少量ずつ製造して、瓶のふたを開けたら速やかに使い切らないと、空気中で徐々に酸化して、乾燥の遅いやや粘性のある液体になってしまいます。動乱があったり、旅行したり、蒸留所がなくなったりすると、たちまちテレピンオイルの入手が困難になったはずです。そんなテレピンオイル入手の困難さも、制作に時間がかかった理由の一つでしょう。

ダ・ヴィンチが生涯をかけて完成させたスフマート画法ですが、これほど手間暇がかかり、テレピン油の入手が困難で、しかも大画面には不向きな技法は、16世紀のイタリアでは王座を獲得することはできませんでした。もっと厚くて、シルバーホワイトを含んだ明るい彩色層を、3度程度重ねる、大作向きの技術が発達していきました。その顕著な例は、ティツィアーノやヴェロネーゼといったヴェネティア派です。

「モナリザを覆う黒いベール」

二酸化マンガンが検出された黒いベール

もう一度「モナ・リザ」を注意深く観察してください。モデルの上半身が、頭から薄くて半透明の黒いベールで被われていることに気づくと思います。このベールは「グアルネロ」と呼ばれて、妊娠中の女性や、出産直後の女性が身を覆うのに使いました。そのために、モデルの神秘的な微笑みは、「母になった女性の喜び」の表れであるという意見もあります。

しかし、実際には、それ以外の女性も、グアルネロを着用することがあったという反論も出されて、いまだに「ほほえみ」の理由ははっきりしないままです。でも、私が注目するのは、最近の化学分析の結果、この黒のベールに二酸化マンガンが発見された点です。古代ローマ時代から,天然のマンガン鉱石から、黒色の二酸化マンガンMnO2の粉末が精製されていました。

また古くから、ガラス工房では、二酸化マンガンが、ガラスを無色透明にする薬品として重宝されていました。ただし、油絵画家の間では、絵の具の乾燥材シッカティーフとして知られる程度です。 

その他のマンガン系顔料、例えばマンガネーズ・バイオレットという紫の顔料(リン酸マンガンアンモニウム)が市場に出回ったのは19世紀末でした。ダ・ヴィンチが二酸化マンガンの黒い粉末を、直接顔料として使用した事実は、顔料の歴史を書き換えることになりました。

「赤い服」

褐色に変わってしまった袖口。元々は赤だった。

最後にモナ・リザの袖の部分に注目してください。褐色に変色していますが、元の色は赤だったことが近年の分析で明らかになりました。変色の度合いがひどく、化学的に安定したヴァミリオン(赤色硫化水銀)が使用されたとは考えられません。

一部の文献には、カーマインレーキだと記されています。このカーマインというのは、コチニールとも言って昆虫のカイガラムシの体から作られる染料の一種です。15世紀半ばから、メキシコより輸入が始まりました。でも古代から地中海沿岸でもカーマインの製造が確認されていて、ダ・ヴィンチがカーマインを使用した可能性は否定できません。(西洋美術史研究者) 

 

森耕治
京都出身。美術史家。
マグリット美術館が併設されているベルギー王立美術館の公認解説者。
ベルギー、ポール・デルボー美術館の公認解説者。
京都嵯峨芸術大学客員教授。美術愛好団体「絵画の会」の常任講師。

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