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特別対談

特別対談2025 エリック・デュバリ×吉米可菜人

芸術家であり賢者であり。
託された芳醇な言葉に新たな始まりを感じる。

エリック・デュバリ(以下 デュバリ):本日は東京までお越しいただき、ありがとうございます。吉米先生はベルギーやフランスの展覧会で作品をご出展いただいていますが、私も鑑賞しながら作者の方に直接お話を聞きたいと思っていました。

吉米可菜人(以下 吉米):こちらこそ、ありがとうございます。

デュバリ:それではさっそく今回の作品『愛の連なり』について伺っていきたいと思います。率直に、とても面白い作品ですよね。色々な要素が入り混じっています。

吉米:愛というのは、万国共通です。民族・宗教・国籍・性別も関係ない、要の要と言えます。この一作品だけでは書ききれない、わからないものです。しかし、だからこそ良い。定義できてしまうものだったら、それは本物の愛ではありませんよ。愛というのは、どれも同じではありません。それぞれの人が自分なりの愛を持っていて、向ける方向や状況によっても変わります。親、恋人、人類愛など、同じ愛と言っても別々です。宗教や信仰にも通じるところがありますね。仏教で言えば仏様、キリスト教における神様、そういったものも一つの愛ではないかと考えています。

デュバリ:それは、私たちを超越した存在としての神という解釈ですか?

吉米:超越というよりは、染み入る存在、もしくは対になる存在ですかね。

デュバリ:吉米先生の中の哲学はどこから生まれてくるんですか?

吉米:わからないです。突然自分の中で湧き上がるんです。これは絵本を創作した時のことなんですが、お風呂に入っていると、ふと怒りの感情が沸々と湧いてきたんですね。それが動物の姿を借りて、まるで降霊のように自分の中で言葉をもって現れてきたんです。その像を絵本という形に落とし込みました。

デュバリ:よくわかります。私も絵のインスピレーションは突然出てくるんです。いくら悩んでも湧いてこないこともありますが、午前3時の真夜中、ぐっすり眠っていたら、「描かなきゃ」という気持ちが急に出てきたということもありました。ところで吉米先生の作品は色々な要素が混じっていますが、哲学が一番多くを占めているように見えますね。このような作品を作ろうと思ったのはなぜですか?

吉米:僕は渦が好きなんですよ。宇宙のコスモもそう。鳴戸の渦にも、暖流と寒流がぶつかり合って、そこに芳醇な生物たちが生まれる。つまり、生命が生まれてくるところだから、好きなんです。あの渦のエネルギーや摩擦の中にこそ、生命誕生の力があるんです。

デュバリ:確かに、渦巻きの中には、生命が生まれてくるような、源泉を感じますね。

吉米:僕は、渦こそが?(クエスチョンマーク)の原型だと思っています。しかし?の丸まった部分を引っ張ると、!(びっくりマーク)になりますよね。つまり、大きな「?」(=疑問・問い)には、大きな感嘆符(=感動・答え)が宿るのです。解らないまま合点がいくと言いますか。

デュバリ:非常に面白い発想だと思います。答えがわかったような気になっても、またそこから新しい何かが始まっていく、ということですね。

吉米:そう、その通りですね。

デュバリ:実は吉米先生の作品を見て、一つお聞きしたかったことがあるんです。なぜ背景にフランス語を用いているんですか?

吉米:私は、言葉とは命だと思っています。だから、しっかりと伝えないといけない。意味内容の必要性ですね。それを疎かにすると、芸術ではなくなってしまいます。私は「芸術は芸術を超えてこそ芸術だ」と考えているので、意味内容がまず相手に伝わらなくてはいけません。

デュバリ:確かに人類は、言葉があったからこそ動物から進化することができました。それは私たちにとってのアイデンティティであり、命であると言えますね。ちなみに作品に書かれているフランス語の意味ですが、これは愛に関する内容ですよね?

吉米:えぇ、生きていく上で大事なこと、一人一人の生き方に作用するものを書いたつもりです。

デュバリ:確かに作品のお話を聞いていると、吉米先生の思想というのは、額に収まるものではない、もっと深淵なものなのだと、私もだんだんとわかってきました。先生はいつ頃から、そういったご自身の哲学に思いを巡らせるようになったのですか?

吉米:禅寺で留守番をやっていた頃の話です。20歳前くらいだったでしょうか。三日位掃除ばかりしていたら、雨が降ってきたんです。石ころを水たまりに投げたら、バシャンと音がしました。次に池に投げると、ドボンと大きな音がして、波紋ができました。そこでふと閃きました。「水の波紋には関係ない。これは深さの問題だ。そしてそこには、何物も関係ない。石ころでもダイヤでも波紋が返ってくるという意味で同じ。あらゆる差別がない。無差別級の答えが返ってくる。これこそ仏だ、神だ」と。

デュバリ:私は吉米先生のことを、芸術家だと思っていました。しかし話を聞いてみると、むしろ賢者の方がふさわしいと思います。ただの芸術表現ではないのだな、もっともっと広いものが背後にあるのだなと学びました。

吉米:同じような時期の話になりますが、木の電信柱があって、そこに行くと、いつも小便をしていました。ある日、いつものように小便をしていると、電信柱に止まる1匹の蛾が目に留まったんです。それから電信柱に寄る度、いつも蛾がいることに気がつきました。私もそれが普通というか、いるのが当たり前という風に見えるようになりました。ところがしばらく経ったある日、蛾が落ちたのです。「蛾」には、「我」という字が含まれています。その瞬間、私の中の「我」も落ちちゃった、という気持ちになりました。そして家出したんです。そして自分がまだ蛾の卵だと悟りました。

デュバリ:ちょっと展開が急で、驚いています。蛾を見つめ続けて家出をするというのは、ちょっと我々の想像を超えています。そして蛾の卵というのは、どういう意味なのでしょうか?

吉米:先ほどの「蛾と我」の話で言えば、私の「我」は、まだ世の中に誕生すらしていなかったということですね。つまり、まだ自分になる前の存在であるという現実に向き合った訳です。周囲は、「どこの学校に行くんだ?」「進路はどうするんだ?」というふうに、自分になった後のことばかり聞いてきます。

現代の若者も、同じような悩みに直面することがあると思います。私はその詮索や圧力に、だんだんと耐えられなくなっていました。しかし蛾という師匠と出会ったことで、家出という道が開けたのです。何も決めなくて良いですし、実際に決められなかったのですから。

デュバリ:吉米先生のお話はとても素晴らしい。まったく未知の体験です。しかし話を聞いていると、悲しい気持ちも湧き上がってきます。

吉米:それはなぜでしょう?

デュバリ:吉米先生は、成長のために家出されたわけですよね。しかしその家出という決断の中にあるのは孤独です。私はその孤独に、若者の寂しさを感じました。

吉米:愛は、辛さとか悲しみ、寂しさなど、様々なものに支えられています。つまり、いつも完全な状態にあるからこそ、愛なのです。もしも愛がただただ満たされていられるようなら、間違いなく堕落してしまいます。有史以来、愛というものは、ずっと旅し続けているのです。その旅の中で苦しみと直面することで、愛は生まれてきます。もしその満たされない葛藤の旅がなければ、きっと人類は滅びてしまうでしょう。

デュバリ:確かにそれは芸術とも通じる世界ですね。キャンバスと向き合う度に納得できる芸術が表現できるなら、私の芸術はただ堕落してしまうと思います。芸術もまた愛の一つの形なのでしょう。吉米先生のお話は大変面白い。もっと長く聞いていたくなります。正直言って、全然聞き足りないくらいですよ。

吉米:僕もまだまだ話したいですよ。だがここで生まれた繋がりから、新しいものが始まります。決してここで終わりではないです。

デュバリ:私の中でも確かに吉米先生の言葉が託され、生きていくでしょう。本当に素晴らしい出会いに感謝します。


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会期:2026年7月3日~5日
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日欧宮殿芸術祭2025

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主催:一般社団法人 日欧宮殿芸術協会
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経歴

吉米可菜人 Kanato Kichibei

1951年生まれ、東京都池袋出身。現在、福岡県宗像市福岡県宗像市大井在住。
自給自足の暮らしを送る中で、現代社会の在り方に疑問を抱くようになり、「このままではいけない」という思いから、自作の詩『村を作ろう』が生まれた。その詩の世界を実際に形にしようと、「種紡ぎ・ムラ」の活動を始め、その取り組みは広がりを見せている。
作品出展国遍歴(JEPAA関連事業):ドイツ、マルタ共和国、フランスなど

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