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© 2026 Shinko Maruyama.
SCROLL
HALLE DES BLANCS MANTEAUX
2025/9/19 – 21
Shinko Maruyama
丸山新子
Shinko Maruyama est une peintre japonaise de sumi-e (peinture à l’encre).
Ses œuvres ont été exposées non seulement au Japon, mais aussi dans de nombreux pays à travers le monde.
丸山新子は日本の水墨画家。日本のみならず世界各国に作品を出展。
Œuvres exposées
展示作品
Conversation
語らい
Commentaire de l’artiste
J’ai esquissé les chats que j’élevais dans mon jardin, puis j’ai combiné ces croquis pour en faire une seule image, une sorte de petite histoire.
Les chats aimaient particulièrement mettre bas et élever leurs petits dans un simple carton. J’avais prévu une grande litière, et pour leurs repas je disposais sur un plateau des boîtes de pâtée pour chats, des croquettes, ainsi que quelques restes de nourriture humaine légèrement assaisonnés.
Ces dessins sont nés de croquis réalisés entre mes tâches ménagères et mon travail.
L’œuvre représente une scène où j’apprenais aux chats à ne pas sortir du jardin pour aller sur la route. Le jardin était un lieu de passage : un grand mâle dominant — le « chef » du quartier (ce que l’on appelle au Japon bosu-neko, c’est-à-dire le chat le plus fort et respecté de la zone) — mais aussi les chats des voisins et quelques errants s’y croisaient souvent. Au milieu de ce monde en mouvement, j’ai dessiné les chatons attentifs aux « paroles » de leur mère.
作者コメント
庭で飼っていた猫たちをスケッチし、組み合わせて一枚の物語に仕上げました。
猫は大好きなダンボールの中で出産し、子育てをしていました。
大きめのトイレを用意し、食事も決めて、トレーには猫用の缶詰や固形フード、そして人の食事の残りをうす味にしたものを与えていました。
主婦業や仕事の合間をぬって描いたスケッチが元となっています。
作品には、庭から道路へ出ないようにしつけている場面を描きました。
庭にはボス猫や、近所の飼い猫、野良猫などがよく出入りします。その中で、母猫の言葉に耳を傾けている子猫たちの姿を描いています。
Chaleur
ぬくもり
Commentaire de l’artiste
Alors que la mère s’était couchée sur le côté, ses chatons déjà un peu grandis se sont rapprochés pour téter en se disputant le lait — puis, bientôt, tous se sont endormis côte à côte.
J’ai voulu saisir cette chaleur et cette tendresse.
Mais aujourd’hui, la vie des chats est devenue plus difficile : la municipalité les a un jour emmenés pour les stériliser.
Après l’opération, ils n’étaient plus disponibles comme modèles, et finalement il n’en est pas resté un seul. Je ne peux plus compter que sur mes anciens croquis.
Chez les chatons, les plus vigoureux et téméraires s’élancent toujours en premier vers le lait, tandis que les plus faibles et calmes doivent attendre leur tour. C’est dans cette rivalité qu’ils grandissent. Quand ils commencent à manger des aliments solides, c’est alors la mère qui assure l’éducation : si l’un mange avant elle, il est réprimandé et doit apprendre à patienter.
Peu à peu, les chatons prennent leur indépendance, parfois quittent le foyer pour ne jamais revenir. Quand une personne en désirait un, je le donnais volontiers, puis de nouvelles naissances venaient relancer ce cycle. J’ai ressenti à quel point l’éducation des chatons est une épreuve rude mais profondément vivante.
作者コメント
母猫がごろんと横になったところへ、少し大きく育った子猫たちが集まってきて、お乳を取り合う──やがてみんな並んで眠ってしまう。その温もりを感じた光景を描きました。
最近は世の中も猫に厳しくなり、市の方で避妊手術をするために猫たちを一度連れて行ってしまいました。
術後の猫はもうモデルにならないのでお断りしましたが、今は一匹も残っておらず、スケッチを頼りにしています。
子猫の頃は、元気で強い子が先にお乳に飛びつき、弱くおとなしい子は後回しにされます。競争の中で育地ます。
固形物が食べられるようになると、今度は母猫がしつけをします。母猫より先に食べると叱られ、後から食べるように教えられるのです。
やがて子猫たちは自立し、旅に出て二度と帰ってこないこともあります。
欲しいと言う方がいれば差し上げ、また新しい子猫が生まれてくる──そうして回っていきました。猫の子育ては本当に厳しいものだと感じました。
Critique de la Japan-Europe Palace Art Association
Les encre‑noir de Maruyama Shinko livrent un regard qui transcende les nuances de l’encre. Elle ne peint pas de simples chats ; elle évoque plutôt la chaleur d’un foyer, la douceur d’une effusion regardée, un souffle silencieux de tendresse partagée. Le tracé généreux suggère la rondeur du chat, comme si chaque coup de pinceau portait en lui le souvenir apaisé d’instants aimés. Dans cette calligraphie dépouillée, l’amour et l’humour se font sentir : les œuvres rayonnent d’une bienveillance qui fait naître un sourire.
Ce qui frappe, c’est cette capacité, dans la contrainte du sumi‑e, à rendre si profondément le sentiment ; elle instille dans ses traits une confiance et une intimité qui dépassent le geste technique. Le noir de l’encre n’est pas froid : il semble au contraire porteur d’une chaleur subtile. Par son œuvre, elle propose l’encre de Chine comme vecteur d’amour — une véritable révélation des possibles du médium.
日欧宮殿芸術協会評
丸山新子の水墨画には、墨の濃淡を超えて伝わる“まなざし”がある。描かれているのは猫たち――しかしそれは単なる動物画ではない。画面の中に広がるのは、家族の温もり、寄り添う気配、そして互いを慈しむ静かな空気だ。ふっくらとした筆の流れがとらえる猫の丸みには、柔らかな日常が息づき、観る者の記憶のなかの“愛された時間”を静かに呼び起こす。無駄のない筆致の中に、愛情もユーモアも溶け込み、作品は微笑みを誘う優しさに満ちている。水墨という制約の中で、これほどまでに豊かな感情を描き出すその筆には、単なる技巧を超えた信頼と親密さが宿っている。墨の黒は冷たくない。むしろそこには、ぬくもりの色すら感じられる。彼女の作品は、水墨の可能性を“愛”というかたちで提示している。
Compte rendu de l’exposition
展覧会の開催報告
URL du compte rendu de l’exposition
展覧会報告URL
対談2026
エリック・デュバリ×丸山新子
水墨画の奥深さと丸山氏の情熱に魅了されたひと時
丸山新子(以下 丸山):エリックさん、お久しぶりです。またお会いできて感激です。
エリック・デュバリ(以下 デュバリ):私もです。丸山先生とは、パリでお会いして以来の再会ということになりますね。早速ですが、本日は作品や制作についてのお話を詳しく聞いていきたいと思います。まず、こちらの作品「春昼(しゅんちゅう)」ですが、とても可愛らしい猫の親子ですね。
丸山:パリに出品した作品の一つになります。モチーフは家の猫たちの、授乳しているところです。
デュバリ:私はこの絵を、とても詩的な絵だと思いました。丸山先生の作品でこれまで私が見た絵はいずれも猫ですが、いつも猫を中心に置く構図にしているのでしょうか?
丸山:猫は多いですね。そうなると、自然と中心に猫を置く構図になります。放射状に強い色を置くことで、絵が前に出てくるんです。
デュバリ:背景に何も描き入れないのも計算ですか?
丸山:花などを配置することもありますが、背景を描き込むとうるさくなるんですよ。
デュバリ:確かに背景などが多すぎると、視線の純粋性が失われてしまいますね。
丸山:これは、師匠からの教えなんです。他のお弟子さんたちも、最初は風景などを描きたくなりますが、次第に変わっていきます。実践しながら、教えの意味を理解するんですね。
デュバリ:なるほど、重要な中心のモチーフから作品の世界が広がっていくのですね。それは確かに大切な教えです。私は水墨画について詳しくないのですが、筆のタッチも独自性が感じられます。
丸山:特大の筆を3本束ねて縛って描いているんです。あまりきつくは縛らないようにしています。そのほうが筆に動きが生まれますから。
デュバリ:ぼかしなどの濃淡はそこから生まれるのですね。道具を自分なりに工夫するというのは革新的でいいですね。私も自分でナイフを使ったりして工夫しているんです。
丸山:エリックさんの発想は面白いですね。ただ筆を3本束ねるのは、実は私の発明ではなく、師匠が考えたものなんですよ。
デュバリ:いやいや、その素晴らしいアイディアも、師匠の考えを共有できる理解力と、その道具を使いこなせる技術がなければ意味がありません。
丸山:ありがとうございます。以前は何が描きたいか、その答えがわからず、悩んだこともありました。その先に道具の悩みがあります。本当に試行錯誤の繰り返しですね。
デュバリ:モチーフや表現は自分の内面の奥深くまで探らないとわからないですよね。時間がかかるのもよくわかります。ところで水墨画を描く上で、デッサンにあたる工程はあるのですか?
丸山:私の場合、絵は基本的にスケッチした作品を見ながら、下書きもせず、細筆(則妙小)に水だけ付け、画の中心を決めるだけですね。閃いたら一気に描ききってしまいます。
デュバリ:確かにその方が自由性が出ますね。しかし一般的な絵の制作から言えば、とても勇気がいる決断だと思います。
丸山:下書きすると、どうしても無意識のうちになぞってしまうんですよ。そうなると、絵が小さくなってしまいます。
デュバリ:よくわかります。前の線を意識して、その瞬間のアイディアや感性が抑圧されてしまいますよね。
丸山:そう、筆が動くままに描きたいんですよ。それと水墨画って、描いた直後はまだ未完成なんですよ。墨は、乾く時に絵に広がりが生まれます。その仕上がりによって絵が良くなったり悪くなったりするんです。乾いて完成した時の出来上がりがどうなるか、いつも楽しみにしながら待っています。
デュバリ:その感覚は、油彩やアクリルにはありません。とても羨ましいです。ちなみにパリにも墨で描く画家がいるんですが、丸山先生はそれについてどう思われますか?
丸山:いいと思いますよ。その人それぞれの個性ですからね。
デュバリ:日本や中国の水墨画のやり方とはだいぶ違うと思われたりはしませんか?
丸山:みなさんがそれぞれに求める水墨の良さがあるので、無理にこうでなければいけないと制約しなくてもいいと思います。それと、どの師匠につくかでも変わってきます。私の絵の理想も、師匠からの教えで磨かれた部分も多いですし。
デュバリ:確かにそうですね。ただ、もっと根本的な墨の色の違いがあるようにも見えました。
丸山:それは恐らく、筆をすぐ洗ってしまうからでしょうね。筆に含まれる全ての墨を使うことで、初めて深い濃淡が生まれるんです。墨も無駄なく使えますし。
デュバリ:その話を聞いていると、私も墨で描きたくなってきました。
丸山:ぜひトライしてみてください。お教えしますよ。
デュバリ:もし日本とフランスをもっと自由に行き来できるようになったら、ぜひチャレンジしてみたいですね。日本の絵画技術は、道具や素材との出会いなど、様々な違いがあって、そこから生まれる技法の違いも非常に多岐に渡る印象です。
丸山:描き方一つ取ってもヨーロッパとは全然違います。なにしろ和紙ですから、手先に力を入れるとすぐに破れたり傷んだりしますからね。腕全体で描くんです。
デュバリ:実は、それは私も同じで、腕全体の動きを大切にしています。原点は違うのに、共通項があるのは面白いですね。日本の技術においては、全てが道具として使われているように見えます。心、魂、そういったものも道具の一つのようですね。
丸山:そうですね、最初は何を描くかに悩んでいるのに、いつの間にか自分の精神状態の方が大事になったりします。この絵を見ている時は、自分自身の気持ちが猫になっていました。
デュバリ:私もまさにそうではないかと思っていました。
丸山:猫の親って面白いんですよ。最初はミルクを与えて、愛情を注ぎます。でも育って独立していくと、母親より先にご飯を食べようとすると叩くんです。急に厳しくなるんですよ。いつまでも子ども扱いしない、対等に同じ猫同士の関係性に切り替えられるんですね。そういった点は、人間も猫から学ぶことも多々あります。
デュバリ:私も猫を飼っていますが、確かに猫は面白いですよね。お腹が空くと来るけど、それまでは独立しています。こちらのことなんか見向きもしません。野生的な部分が強く残っているんですね。それでも近くに来ると、ちゃんと挨拶してきます。
丸山:ちゃんと会話ができますよね。距離感を持ってお互いの存在を認められるところがあります。
デュバリ:最後になりますが、これから猫以外に制作の構想などありますか?
丸山:私の作品は猫が多いですが、実は花もよく描いています。展覧会が年に2回ありますから、それを目標に描いています。もちろん風景を描くこともありますよ。マッターホルンを描いたこともありましたね。
デュバリ:作品を見てもらうというのは大事なことですよね。
丸山:本当にそこは大事ですよ。展覧会があると、ダラダラせず、出品日に間に合うように描こうという気持ちになりますから。
デュバリ:確かに目標があるとメリハリがつきます。
丸山:それと展覧会に関わっていると、事務方の仕事もやったりします。それも良い刺激になりますね。
デュバリ:絵を描く以外の仕事をやることは大事です。その活動が、結果的に絵のヒントになることがたくさんあります。絵だけを描いていてはダメですね。今日は本当にありがとうございました。貴重な日本の芸術の話や技法について知ることができて、とても有意義な時間を過ごせました。ぜひパリにもまた来て下さい。
丸山:こちらこそありがとうございました。またお会いできることを楽しみにしています。



