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© 2025 Ko Tanahashi.
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Interview article /対談記事
2023年特別対談 棚橋かう×ジャン・イーヴ

麗しのモダン・うるしに
秘められた温かな心
ジャン・イーブ(以下 ジャン):棚橋先生は2019年と2021年にカナダで作品を発表されていますね。その 時の先生の作品はとても華やかだったと強く覚えてお ります。
棚橋かう(以下 棚橋):嬉しいです。ありがとうござ います。 ジャン:ちなみに先生は「モダン・うるし・アート」 をされていますが、具体的にそれはどういったものな のでしょうか。モダンはどういうものを意味するのか を教えていただきたいです。 棚橋:漆というのは昔から日本では工芸品に頻繁に使 われる材料ですね。その古典的な漆というのは非常に かぶれやすいものなんです。一方モダンうるしアート で使っている漆はかぶれない漆を使っているんです。漆の質感はほとんど一緒なんですが、人に対して害の ない漆を「モダン」と表現しています。 今回の池袋展の作品も、花は「モダン・うるし」で描 いています。
ジャン:そうでしたか。合成の漆というのがあるとい うのは初めて知りました。それにしてもこちらの作品 はコラージュのような作品で非常に美しいですね。こ れは独自の技法なのでしょうか。
棚橋:そうですね、技法は師匠である湯佐みどりさん から学びましたが、それから色々なことを自分なりに 工夫して制作しております。
ジャン:技術はお師匠様から多くを学ばれて、表現は 独自のものをされていらっしゃるということですね。 先生の作品は非常に鮮やかで軽やかですね。画材だけでなく画面の表現も非常に現代的です。
棚橋:表現という点に関しては湯佐みどりさんはもち ろんですが、父の影響も大きかったように思います。 父は多趣味で絵を描いたり、陶芸をしたり木彫りをし ていました。無くなる直前まで好きなことをしていま したね。小さい頃はいろんな美術展に連れ回されまし たよ。
ジャン:とてもいい思い出ですね。先生はそのお父様 の影響があってこうして制作活動をされているのかも しれません。 このように素晴らしい作品を作る上で一番大切なこと は何だとお考えですか?
棚橋:とても難しいですが、常に他者から学ぶことで はないでしょうか。有名な芸術家の作品に限らず、自分のいいと思った作品の構図なり、色彩なりいいとこ ろがあればそれを参考にさせていただこうという視点 で色々な作品見るようにしています。
ジャン:素晴らしいですね。制作する上で最も大切な ことかもしれません。私はなかなか思うようにならな い水彩の性質に魅力を感じて絵を始めたのですが、先 生はモダン・うるしのどのような部分に惹かれて始め られたのですか?
棚橋:人のやっていないことをやりたかった。これに 尽きます。
ジャン:なるほど、色々なことに好奇心を持ってされ ているのはこの作品を見ればわかります。でなければ こうした先生だけの表現は生まれていなかったと思い ます。先生はこれからどのような思いで作品を制作し ていきたいとお考えですか?
棚橋:今の時代を生きる方たちはどこか生き急いでいるように感じます。若い方は時にそれが顕著な気がします。仕方がないことかもしれませんが、こういう人 の手で作られたものを見る時間と向き合ってもらいた いなと思っています。
ジャン:確かに人の手から生まれるものの良さは絶対 にありますね。先生の作品には丹念に作られた芸術家 の温かさを感じます。
棚橋:贅沢を言えば、このようにじっくり一つのもの を作り出すことを体験していただきたいです。
ジャン:そうですね。ちなみに先生はこれまでケベッ クには花をテーマにした作品を多くご出展頂きました が、これから違うモチーフを描く予定はありますか?
棚橋:展示となると花の作品を出すことが多いですが、実はこれまでに何度も人物や風景を描いてきたん ですよ。しかし、そういったモチーフはどうしても大き なサイズになるのでお見せできる機会が少ないです。
ジャン:それもぜひ見てみてみたいです。
棚橋:ただ私自身、花の作品の方が自分で納得できる ものが多いので、やはり出品する時も花作品を優先し たくなるようです。機会があれば他の作品も見てもらえると嬉しいですね。
ジャン:その想いと共に作品の温かさが多くの方、ひいては若い方々に届くといいですね。私もケベックの 展覧会ではそれが実現できるように尽力していきたい と思います。
Special Talk Session,Ko Tanahashi×Jean-Yves Chrétien,2023
The hidden warmth of beautiful modern lacquer art
Jean-Yves Chrétien: Ms. Tanahashi, you presented your works in Canada in 2019 and 2021. I strongly remember that your works at that time were very spectacular.
Kou Tanahashi: I’m pleased to hear that. Thank you very much.
Jean: You are working on “modern Urushi art.” What exactly is that? I’d like to know what you mean by“ modern.”
Tanahashi: Lacquer is a material that has often been used for art and crafts in Japan for a long time. The classic formulation of lacquer is very likely to cause skin irritation. On the other hand, the lacquer used in modern Urushi art is a non-irritating lacquer. The texture of the lacquer is almost the same, but we use the term “modern” to describe lacquer that is not harmful to humans.The flowers in my piece in this Ikebukuro exhibition are also painted with “modern” lacquer.
Jean: Is that so? I’d never heard of synthetic lacquer before. This piece is something like a collage. It’s very beautiful. Is this a unique technique?
Tanahashi: Yes, I learned the technique from my master, Midori Yusa, but I also devised various techniques in my own way.
Jean: So you learned a lot of techniques from your master, but you have your own unique expression as well. Your works are very vivid and bright. Not only the painting materials, but also the representation on the canvas is very modern.
Tanahashi: Well, in terms of expression, I think my father’s influence was quite significant, not to mention Midori Yusa’s. My father had many interests, including painting, pottery, and wood carving. He did whatever he liked, up to right before he passed away. When I was little, he took me to all kinds of art exhibitions.
Jean: That’s a wonderful memory. Perhaps your father’s influence is the reason why you’re doing what you do now. What do you think is the most important thing in creating such wonderful works of art?
Tanahashi: That’s a very difficult question, but I think it’s always learning from others. I try to look at various works of art — not only those by famous artists, but also others that I think are good in terms of composition and coloring — and use them as references.
Jean: That’s wonderful. It is probably the most important thing when creating a work of art. I started painting because I was attracted to the nature of watercolor, which is rather difficult to master. What was it about modern lacquer that attracted you to start?
Tanahashi: I wanted to do something that no one had done before. It came down to that.
Jean: I see. I can tell from this piece that you are curious about many things. Otherwise, I don’t think you’d have been able to create such a unique expression. What kind of intention do you have to pursue the future activities?
Tanahashi: I feel that people living in this day and age are in something of a hurry to get on with their lives. And I feel that this is sometimes more pronounced among the younger generation. Maybe it is what it is. However, I’d like them to spend more time looking at things made by human hands.
Jean: There is definitely something good about things created by human hands. We can feel the warmth of the artists from their works like yours, which were painstakingly created.
Tanahashi: If possible, I would like them to experience meticulously creating just one thing in this way.
Jean: Yes, it is. Incidentally, you have exhibited many flower-themed works in Quebec to date. Are you planning to paint with different motifs in the future?
Tanahashi: At exhibitions, I often exhibit works of flowers, but in fact, I have often painted portraits and landscapes in the past. However, such pieces are inevitably quite large in size, so I don’t have many opportunities to show them to the public.
Jean: I’d love to see them.
Tanahashi: Personally, I’m more satisfied with my flower pieces, so I tend to give them priority when exhibiting. I’d be happy if you had a chance to see my other works.
Jean: I hope that the warmth of your works and your feelings is able to reach many people, especially young people. I will do my best to make that happen at the exhibition in Quebec.
Art History /アートヒストリー

アネモネ / Anemone
最初に
「モダン・うるし・アート」。このジャンルの創始者であり、また現在もそのトップとして創作活動に励む棚橋かう氏。現在では日本を超えて広く海外でもその表現世界が知られています。
本稿では、自らのジャンルを探求して、唯一無二の人となりつつある棚橋氏の創作人生についてご紹介します。
幼少期〜芸術の英才教育
新潟県西蒲原郡、旧分水町(現在の燕市)。日本海に面した越後平野の豊かな田園地帯で、棚橋かう氏は村上藩に所縁の深い名家・解良家の長女として誕生しました。
分水町は県内産業の要所で、稲作や水運業、燕市との合併後は工業で経済成長を見せる一方、江戸時代より良寛さんのゆかりの地として知られ、多くの観光客が足を運ぶ人気の観光地でもあります。
そんな自然豊かな土地で、棚橋氏は厳しくも優しい両親に見守られながらすくすくと成長していきました。中でも父親と巡った美術館の記憶は今でも鮮明に思い起こされるそうです。
父親は美術に精通した人で、自身でも絵画や陶器、書などを嗜むだけでなく、探究心を持って創作活動を楽しんでいました。父娘の時間といえば美術館巡りが定番で、遠征して東京の上野や銀座まで足を延ばすことも珍しくなかったそうです。これは解良家ならではの英才教育であり、どんな遠方でも可能な限り足を運び、娘にジャンルを問わず幅広く芸術の世界の素晴らしさを体感させ、鑑賞眼を養ってやりたいとの親心だったのです。
こうした愛情を受け、棚橋氏は芸術に明るい少女として成長していきました。普段は物静かでしたが、絵や書については積極的に取り組み、次第に自分自身でも創作する側の人間になりたいと考えるようになりました。
しかし幼少期から次第に大人へと成長していくうちに、その機会は次第に減っていきます。中学ではそろばんや英語、数学など、勉学に勤しんだり、学芸会に情熱を傾けたりしました。また当時の年頃の女性らしく、和裁を頑張った時期もありました。絵を描きたい、美術館に行きたい、という気持ちが無くなったわけではありません。ただ、戦中戦後の動乱の時代の中で、無意識にその思いを心の奥にしまい込んでおくことにしたのです。
うるしアートとの出会い
棚橋氏が生涯の師・湯佐みどり氏と出会ったのは、子育てもひと段落した頃のことでした。自分の時間が次第に増える中で、それまで心の奥にしまっていた芸術への情熱が顔を覗かせるようになり、「知的・刺激的で芸術性の高い世界に没頭したい」という欲求が強くなっていったのです。
ただし幼少期から東京の美術館やギャラリーで英才教育を受けてきたわけですから、とりあえず何でもいいから、というような気分にはなれませんでした。「出来る事なら万人向きでなく、人があまりやらない、少し違った事をやりたい」と思い、方々の絵画・書・工芸などの教室を巡ります。そんな折に出会ったのが、画材に合成うるしを使用する湯佐みどり氏の絵画教室でした。棚橋氏はそれまで見たこともない画風に惹かれ、すぐに教室の門戸を叩きます。
湯佐氏の使用する合成うるしは、日本在来種のうるし―いわゆる本漆とは異なり、カシューの樹液を使用した合成顔料です。当時はまだ絵画に活用する人もごく僅かで、少し違った表現を追い求める棚橋氏にとっては格好の顔料でした。
当初はクラフトやアクセサリーなど小物から修行を始めたものの、次第に大作の絵画などへと創作の幅を広げ、大きな注目を集めるようになっていきます。
合成うるしの生み出す立体的で厚みのある仕上がりと、棚橋氏の現代的な花鳥画の華やかで幻想的な世界観が出会い、伝統と革新の共演した新しい美観となったのです。
やがて湯佐氏の下から独立して自身の絵画教室を開設。より自由で挑戦的な美を追求すべく「モダン・うるし・アート」を掲げて創作活動に没頭しました。
2006年の「二人の古希展」は、それまでの創作活動における一つの節目だったと言います。夫と共に開催したこの展覧会では、夫妻が創作を始めた当初からの思い入れある作品が勢揃いし、展示鑑賞を通して芸術家生活を振り返ることができるよう企画されました。展覧会には多くの知人、美術好きが集まり、大成功を収めます。
そして現在、棚橋氏の「モダン・うるし・アート」は、更なる高みへと発展を続けています。海外でも独創的な世界観が評価され、多くの国の人々が日々棚橋氏の作品に魅了されています。
父親からの美術の英才教育を受けた棚橋氏。その結果として辿り着いた「人がやらない、少し違ったこと」を追い求める精神は、いっそう大きく花を咲かせています。
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壮麗 / Magnificent
„Moderne Lackkunst“. Kou Tanahashi ist der Begründer jenes Genres und steht auch gegenwärtig an der Spitze dieses kreativen Prozesses. Deren Welt des Ausdrucks ist heute über Japan hinaus auch im Ausland weit verbreitet. In diesem Artikel wird das kreative Leben von Tanahashi vorgestellt, die ihr eigenes Genre erforscht und sich zu einer einzigartigen Persönlichkeit entwickelt.
Ehemalige Stadt Bunsui (gegenwärtig Stadt Tsubame) im Bezirk Nishikanbara der Präfektur Niigata. In der reich gesegneten ländlichen Region der Echigo-Ebene, die am Japanischen Meer liegt, wurde Kau Tanahashi als älteste Tochter der Kera-Familie geboren, einer angesehenen Familie mit engen Beziehungen zum Murakami-Clan. Die Stadt Bunsui ist ein wichtiges Industriezentrum der Präfektur, die ein wirtschaftliches Wachstum in den Bereichen Reisanbau, Wassertransport sowie nach dem Zusammenschluss mit der Stadt Tsubame auch in der Industrie verzeichnet, während es andererseits auch ein beliebtes Touristenziel ist, das seit der Edo-Zeit als Ort mit tiefen Verbindungen zum Mönch Ryokan bekannt ist und von vielen Touristen besucht wird.
In dieser naturreichen Umgebung wuchs Tanahashi wohlbehütet von ihren strengen, aber lieben Eltern gesund und sorgenlos auf. Sie scheint sich auch jetzt noch klar an die Kunstmuseen zu erinnern, die sie mit ihrem Vater besuchte. Ihr Vater war ein Kunstkenner und liebte es nicht nur sich selbst der Malerei, Töpferei und Kalligrafie zu widmen, sondern genoss mit einem Forschergeist die kreative Tätigkeit. Museumsbesuche waren ein fester Bestandteil der Zeit, die der Vater mit ihr gemeinsam verbrachte, und nicht selten begaben sie sich dafür auch in entlegenere Orte wie nach Ueno und Ginza in Tokio.
Dies war die typische Art der Talentförderung der Familie Kera, weshalb es der Wunsch ihrer Eltern war, sofern es möglich ist, auch in die Ferne zu reisen, egal wie weit weg das Ziel liegt, damit ihre Tochter die Faszination der Welt der Kunst über alle Genres hinweg in einem breiten Spektrum am eigenen Leib erfährt und ein Auge dafür entwickelt. Eine solche Liebe erfahrend wuchs Tanahashi als heiteres Mädchen mit einer Leidenschaft für die Künste auf. Obwohl sie sonst eher gelassen war, beschäftigte sie sich sehr aktiv mit Malerei und Kalligraphie und begann allmählich den Wunsch zu hegen, selbst eine Kunstschaffende zu werden.
Doch mit dem Übergang von der Kindheit zum Erwachsenenalter nahmen jene Möglichkeiten immer mehr ab. In der Mittelschule widmete sie sich fleißig dem Studium wie der Handhabung des Abakus, dem Englisch sowie der Mathematik, und gab sich leidenschaftlich dem Schultheater hin. Es gab auch eine Zeit, in der sie sich als Frau von entsprechendem Alter intensiv mit der japanischen Schneiderei auseinandersetzte. Dennoch hatte sie die Lust am Malen und an Museumsbesuchen nicht verloren.
In den turbulenten Zeiten während dem Krieg sowie in den Nachkriegsjahren beschloss sie jedoch unbewusst, jene Gedanken in den Hintergrund zu stellen. Tanahashi lernte ihre lebenslange Lehrerin Midori Yusa erst zu einer Zeit kennen, als sie ihre Kinder einigermaßen groß gezogen hatte. Als sie nach und nach mehr Zeit für sich selbst hatte, begann ihre Leidenschaft für die Künste, die sie bis dahin tief im Herzen verstaut hatte, zum Vorschein zu kommen, sodass in ihr der Wunsch, sich „in eine intellektuelle, anregende und künstlerische Welt einzutauchen“, stärker wurde.
Da sie aber von klein auf die Museen und Galerien in Tokio im Rahmen ihrer Talentförderung besucht hatte, war sie keineswegs in der Stimmung sich wahllos für irgendetwas offen hinzugeben. Mit dem Gedanken „Falls möglich, will ich nicht etwas für jedermann, sondern etwas, das kaum einer macht, und sich ein wenig von anderen unterscheidet, machen“, weshalb sie verschiedenste Malerei-, Kalligraphie- und Handwerkskurse besuchte.
Zu jener Zeit machte sie dann ihre Bekanntschaft mit dem Malereikurs von Midori Yusa, die synthetischen Lack als Zeichenmaterial verwendete. Tanahashi war angezogen von dem Malstil, den sie noch nie zuvor gesehen hatte, und wandte sich umgehend an jene Schule. Der von Yusa verwendete synthetische Lack unterscheidet sich vom Lack, welcher vom einheimischen japanischen Lackbaum gewonnen wird, dem so genannten „Hon-urushi“, und stellt eine synthetische Malfarbe dar, die mit dem Harz des Nierenbaums hergestellt wird.
Damals gab es nur wenige Menschen, die sie für die Malerei einsetzten, sodass es genau die richtige Malfarbe für Tanahashi war, welche nach einer etwas anderen Ausdrucksform suchte. Obwohl sie ihre Ausbildung zu jener Zeit zunächst mit kleinen Gegenständen wie Handwerksobjekten und Accessoires begann, weitete sie ihr kreatives Spektrum nach und nach auf großformatige Gemälde usw. aus, mit denen sie große Aufmerksamkeit auf sich zog.
Die Plastizität und Dicke, die der synthetischen Lacks hervorbringt, trafen auf die glamouröse und phantastische Welt der zeitgenössischen Blumen- und Vogelmalerei von Tanahashi und schufen eine neue Ästhetik, welche Tradition und Innovation verbindet. Bald darauf machte sie sich von Yusa unabhängig und gründete ihre eigene Malschule. Um eine noch freiere und herausfordernde Schönheit zu erreichen, gab sie sich mit dem Slogan „Moderne Lackkunst“ dem kreativen Schaffen hin.
Die im Jahre 2006 veranstaltete Ausstellung „Ausstellung zweier 70-jähriger“ war eines der Meilensteine in ihrer bisherigen kreativen Karriere. Jene Ausstellung, die sie gemeinsam mit ihrem Ehemann veranstaltete, wurde auf eine Weise konzipiert, dass das Ehepaar eine Sammlung von Werken zeigt, die sie seit Beginn ihrer kreativen Laufbahn nahestanden, und sie mittels der Betrachtung der Ausstellung die Möglichkeit bekommen, auf ihr Leben als Künstler zurückzublicken. Die Ausstellung zog viele Bekannte sowie Kunstliebhaber an und wurde zu einem großen Erfolg.
Und auch jetzt befindet sich die „Moderne Lackkunst“ von Tanahashi auf dem Weg, ein noch höheres Niveau zu erreichen. Ihre schöpferische Weltanschauung wird auch im Ausland geschätzt, und Menschen aus zahlreichen Ländern sind täglich von Tanahashis Werken fasziniert.
Tanahashi erhielt von ihrem Vater eine Talentförderung für Kunst. Daraus entstand der Geist nach dem zu streben, „das kaum einer macht, und sich ein wenig von anderen unterscheidet“, welcher mehr denn je aufgeblüht ist.
Solo Exhibition /個展
特設個展ブースin 日欧宮殿芸術祭2024
会期:2024年4月20日~22日
会場:シャルロッテンブルク宮殿オランジュリー(ドイツ)
主催:一般社団法人 日欧宮殿芸術協会
運営:クリエイト・アイエムエス株式会社
Solo Exhibition in JEPAA Festival 2024
Date: April 20th – 22th, 2024
Venue: Charlottenburg Palace, Berlin, Germany
Organizer: Japan-Europe Palace Art Association
Operated by: Create IMS Co., Ltd.
Profile /経歴
棚橋かう Ko Tanahashi
1936年 新潟県出身
光陽会 名誉委員
師:湯佐みどり
モダン・うるし・アート(工房 エリカ)主宰
作品出展国遍歴(JEPAA関連事業):ドイツ、フランス、イタリア、マルタ共和国など
Born:1940,Japan
Affiliated Group:KoyoKai Honorary Member
Master:Midori Yusa
Founder:Modern Urushi Art(Studio Erika)
Exhibition of Works(JEPAA): Germany,France,Italy,Malta…