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© 2026 Hiroshi Arikado.
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特別対談
2024年特別対談 有角博×カトリン=スザンネ・シュミット
唯一無二の感性が輝く水彩画の騎士
カトリン=スザンネ・シュミット(以下 シュミット): 本日は富山からお越しいただき、本当にありがとうございます。お会いするに当たって先生の履歴なども拝見したのですが、元々は数学の先生だったのですよね。
有角博(以下 有角): えぇ、学生時代の進路でも数学と美術で悩みました。でも数学は若い時しかできないと考え、絵は自分の仕事が一区切りするまで封印することにしました。
シュミット: 長くご自身の想いを胸にしまって、退職してから改めて画家になろうと思われたんですね。それにしても驚いたのは、これまで描かれた作品の多さですね。しかもモチーフが様々で、その行動力やアンテナの力に感心させられました。
有角: ありがとうございます。しかし描いている風景の多くは、地元で見られる場所なんです。例えばこの作品、桜の絵は富山県の中央植物園ですし、チューリップの風景は、立山(富山県の北アルプス北部に位置する山)が背景ですね。
シュミット: このように様々な美しい風景が見られるなら、富山は芸術家が住むのに適した環境なのかもしれませんね。しかし今日こちらにある作品『デュエット』は、人形たちがモチーフになっています。それとここに描き込まれた楽譜は、本来目に見えないものですよね。有角先生が多く手がけてきた風景画とは違った表現に取り組まれていることに、私も注目しました。
有角: 友達の家の応接間に招かれた時、二つの人形が飾られていて、それがとても可愛らしいと思って、ぜひ描きたくなりました。しかしただこれだけをそのまま描いたら普通すぎるので、2人で歌っているように演出したのです。楽譜はその一環ですね。
シュミット: ヨーロッパには少年の合唱団が多いので、それを思い出して楽しい気持ちになりました。他にも多くの作品がありますが、モチーフの選び方がとても個性的に感じます。選ぶ上で何かルールはありますか?
有角: その瞬間のひらめきや気持ちの高揚感があるかどうかだけです。「楽しい」と思ったら、実際に描く時のことをすぐ考えてみます。
シュミット: 心で感じるままに絵を描くことができるのは素晴らしいです。ちなみに今現在、描きたいと思うもの、あるいは風景はありますか?
有角: 最近は絵に描きたくなるような出会いがあまりありませんね。そういった時は車などで旅に出たりすることにします。
シュミット: 私の母も頭はしっかりしていますが、手が不自由になったので色々とサポートが必要になりました。母よりも年上の有角先生が絵を描いたりカメラを扱ったり運転をしたりするというのは、本当にすごいことだということがわかります。
有角: 私からもお聞きしていいでしょうか? シュミットさんはドイツ芸術にも精通されていますが、現代のドイツの芸術はどのようなものが流行していますか?
シュミット: ドイツ以外にも当てはまるのですが、現代アートはとても難解になっていますね。リヒターなどもそうですが、見て説明を受けないと理解できないものが多いです。昔のデューラーなどは誰が見てもその素晴らしさがわかりました。しかしそのような難解化の流れはなかなか変わるものではありません。そんな現代のアート事情の中で、有角先生は誰にでも楽しめる、誰が見てもその良さが理解できるという点にロマンを感じます。ぜひこれからも先生にしか描けない絵を表現してほしいと思います。今日は本当にありがとうございました。

デュエット
アートヒストリー
序文
幼い頃から絵を描くのが好きだった博少年は、し かし「絵描きになりたい」という夢に向き合えない まま、年齢を重ねていく。時代の波に翻弄されなが らも絵への情熱を忘れなかった1人の画家の半生を、 彼の純粋な言葉と共に振り返りたい。
少年時代に育まれた観察眼
有角博は1930年11月10日、富山県高岡市で長男と して生まれました。幼少の頃からおとなしく、活発 に遊ぶよりも家の中で絵を描いて遊ぶ少年でした。 小学校の低学年の頃には、何枚も描いた軍艦の絵を 横に並べて眺めることが彼にとっての小さな楽しみ でした。また当時住んでいた家は駅の引込み線がよ く見える場所にあり、博少年は往来する列車や整備 される様子をつぶさに観察していました。この頃の 経験が後に彼が描く風景画において重要な観察眼を 養っていく端緒となったのかもしれません。
学生時代
中学進学後、太平洋戦争が次第に激化を極めてい きました。 小柄で痩せていた博少年にとって辛いことばかり の日々でしたが、中でも特に苦痛を極めたのが教練 の時間でした。当時の男子の教練は兵隊訓練そのものであり、時には実際の鉄砲を手にしての訓練まで強いられたそうです。さらに終戦の数ヶ月前から学徒動員として工場へ働きに出ることになりました。大好きな絵を描くこともできず、ただ戦争が終わるまでじっと耐えるしかなかったのです。「今思えば、なんとも惨めな時代だった」と当時のことを振り返ります。そんな苛烈な戦争の日々は、中学3年生の夏に終わりを迎えました。
高等師範学校時代から教員へ
ようやく日本が終戦のショックから立ち直ろう とする頃、博少年は中学を卒業し、金沢市の高等 師範学校の数学科への進学を決めました。一時は 美術科への進学に心が傾いたものの、家族の経済 状況や将来の生活のことを鑑み、数学科を選択す ることにしました。しかしこの時、その胸の内に は「いつか絶対に絵を描こう」という強い決意が 秘められていたのです。 在学中には戦争によって奪われた時間を取り戻 すように、勉学、芸術、クラシック音楽、読書、 登山、囲碁など、彼は多岐にわたる趣味や活動に 取り組みました。 中でも友人たちと共に金沢の名所を描いて回っ たことは今なお彼にとって特別な思い出です。
特に兼六園には何度も足を運び描いていた場所でした。彼はそれを「本格的ではない」と謙遜しながらも、友人たちと一緒に絵を描きに様々な場所へ出かけ、クラシック音楽の流れる喫茶店で絵や音楽について語り合う時間は彼にとってかけがえのない時間となりました。卒業後は教員としての道を選び、高等学校で生徒たちに数学を教える立場となりました。しかし、仕事が忙しくなるにつれて絵を描く時間が減っていき、再び筆を取るようになったのは退職してからのことです。
作家として
70歳になり有角氏は本格的に絵画の世界に飛び込むことを決断します。その契機となったのは友人の「一緒に絵を描こう」という一言でした。この言葉によって一度は眠っていた絵を描くという情熱が再び目覚めたのです。2000年ごろには自らの家の隣にギャラリーを建設し、仲間と絵画を展示する共有の場を建設。以降2人から始まった活動が次第に広がり、今では12人の仲間たちがギャラリーに集い、絵画グループ「マドカ」として活動を続けています。「マドカ」は有角氏が代表を務めていますが、曰く「私はグループを率いているわけでもなく、教える立場にあるわけでもない。むしろ仲間たちと共に学び合い、楽しみながら絵を描くグループ」と強調しています。
絵を描く上で、有角氏はテーマを非常に重要視しています。描く対象に向き合い、なぜそのものに感動したのかを作品を通して伝えることが、彼にとっての制作の重要な要素となっています。
彼はこれまで感動を受けたその瞬間に筆を取り、作品を通じてその感動を表現してきました。そのため作品一つ一つに感動した理由があると言います。それを描いては仲間たちとその感動を共有してきました。
有角氏は自身の人生は絵と対峙してきたように思うと振り返っています。「子どもの頃に絵を描くのが大好きで、進路を選ぶ際に数学と美術で迷いました。その後長いこと絵から全く離れてしまいましたが今はこうして仲間たちと絵を描いている。私はこれからも絵を描くんだろうなと思っております。絵を描くことに言葉にできない喜びを感じます。」
作品と振り返る芸術の軌跡
風景画とは日常の一瞬を捉えた芸術である。中世以前は視覚的な記録としての一面があったが、17世紀のオランダ画家らによって純粋な風景画が確立されていく。19世紀フランス印象派の画家たちは、その一瞬の光を追い求めて外に出た。ポール・セザンヌはより恒久的なものにしようとサン=ヴィクトワール山のスケッチに熱中し、結果的に44点の油彩画と43点の水彩画を描くこととなった。
「朝の目覚」「人それぞれの公園」「待合せ」は、三者三様の風景画である。
「朝の目覚」は、ある5月の朝の景色という。逆光で暗くなっている室内の様子と、障子を透かして見える外光の圧倒的な赤のコントラストが鮮烈な印象をもたらしている。神々しさすら感じるような素晴らしい幻想美だが、実際に作者の有角博氏も思わず呆然とし、目の前の美に感謝の気持ちが自然と湧き上がってきたと当時を振り返っている。

朝の目覚 / Aufwachen am Morgen
一方で「人それぞれの公園」は、見事に色づいた紅葉の美しさと、公園で過ごす人々の姿が一つの枠に収まっていることで、明るく朗らかな印象が伝わってくる。長く延びた影も秋の陽光を想起させ、作品に心地よいリズムを作っている。「朝の目覚」の主役が自然であるなら、本作は自然と人との素晴らしい共演と言えるだろう。

人それぞれの公園 / Für jeden der seine Park
そして「待合せ」は、完全に人が主役の作品である。輪郭線がはっきりと描き込まれており、上記の2作品よりもポップな雰囲気に仕上がっている。大時計の広場を舞台に多くの人々が待ち合わせに集う様子は、何気ない日常の中の幸福感に溢れていて心地よい。淡い色彩も晴れの日の爽やかな陽光を見事に表現しており、カミーユ・ピサロの作品を想起させる。
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待合せ(小樽)/ Verabredung (Otaru)
このように三者三様、作品ごとに違った顔を見せるのが、有角博氏の風景画である。かと言って自身の表現を強烈に押し進めるような作為があるわけでもなく、目に映るままの感動を描き出しているかのような気取りの無さを感じるのも特徴の一つだろう。人々の描写も表情こそ伺えないものの、その佇まいには喜怒哀楽が如実に浮かんで見える。有角氏は日頃より「絵心を持ってものを見る」ことを習慣づけているという。実際、何の芸術的な感性の無い人からすれば、この3つの鮮やかな風景もつまらない日常になってしまうだろう。
本稿では有角氏がどのような人生を歩み、そしてこのように豊かな風景画を会得するに至ったかを紹介していきたい。
少年時代に育まれた観察眼
有角博氏は1930年11月10日、富山県高岡市で長男として誕生。幼少の頃からおとなしく、活発に遊ぶよりも家の中で絵を描いて遊ぶ少年だった。しかし中学生時代は1941年に勃発した太平洋戦争により、絵画どころか学業や生活もままならなかったという。
中学3年生の夏に戦争が終わると、勉学、芸術、クラシック音楽、読書、登山、囲碁など、多岐にわたる趣味や活動に取り組んだが、生活は決して楽ではなかった。高校進学の際には早く自立したい、家族を支えたいという思いから数学科を選び、画家の夢を一時封印する。その代わり、在学中には友人たちと連れ立って兼六園など金沢の名所を描いて回った。そしてクラシック音楽の流れる喫茶店で絵や音楽について語り合うのがお決まりのコースだった。
さらに卒業後は高校で数学教師となり、家庭を持って公私共に充実した日々を過ごす。絵筆を握るような暇さえ無いような生活は、実に教師定年まで続くこととなる。
作家として
そんな有角氏が絵画の世界に舞い戻ったのは、70歳の時のことだった。きっかけは友人の「一緒に絵を描こう」という誘いだった。再び絵筆を握る楽しみに目覚めた有角氏は、自らの家の隣にギャラリーを設け、友人たちとの絵画制作に没頭する。それはまさに精神の解放だった。長年にわたって封印され続けた情熱の炎が、一気に燃え上がったのである。
先も触れたが、有角氏の作品には目に映るままの感動がある。その半生を振り返ると、その感動の表現の向こうに、解放された情熱の炎が見えてくるのは自明の理と言えるだろう。少年時代を戦争に翻弄され、成人後は周囲の人々のために尽くした。そして現在、再び絵画と共に青春を謳歌している。様々な役割、苦難から解放され、いま目に見える世界は若かりし頃とまったく違って見えているのだろう。
それは若かりし日に様々な趣味を体験したこと、友人たちと絵を描いて金沢を回ったことと無関係ではあるまい。蓄えられた知識と経験、歩きながら絵のテーマを探すことに高揚した記憶が、有角氏の表現を逞しくしているのである。日常の様々な景色に感動する瑞々しい精神と、絵に全力で取り組める喜びが、作品のそれぞれに色彩と輝きを与えている。
全体に明るく鮮やかな色彩の作品が多いのは、世界に対するポジティブな眼差しであり、これは有角氏の生きることに対する感覚でもある。それゆえ作品制作においてテーマを重要視し、なぜそのものに感動したのかを表現に変換することに腐心している。作品ごとの感動を意識し、それを描いては仲間たちと共有してきた。そのすべての流れが有角氏にとっての芸術であり、作品である。
個展
特設個展ブース in 日欧宮殿芸術祭2025
会期:2025年9月19日~21日
会場:ハル・ドゥ・ブラン・マントゥー(フランス)
主催:一般社団法人 日欧宮殿芸術協会
運営:クリエイト・アイエムエス株式会社
特設個展ブースin 日欧宮殿芸術祭2024
会期:2024年4月20日~22日
会場:シャルロッテンブルク宮殿オランジュリー(ドイツ)
主催:一般社団法人 日欧宮殿芸術協会
運営:クリエイト・アイエムエス株式会社
Special Site / 特設サイト
日欧宮殿芸術祭2026
会期:2026年7月3日~5日
会場:メディテレニアン カンファレンス センター(マルタ)
主催:一般社団法人 日欧宮殿芸術協会
運営:クリエイト・アイエムエス株式会社
特設ブース in JAPAN ART FESTIVAL2025
会期:2025年9月19日~21日
会場:ハル・ドゥ・ブラン・マントゥー(フランス・パリ)
主催:一般社団法人 日欧宮殿芸術協会
運営:クリエイト・アイエムエス株式会社
特設ブース in FOUND ART & CULTURE JAPAN
会期:2024年10月30日~11月05日
会場:アルマンド・ショモ ギャラリー(フィレンツェ)
主催:一般社団法人 日欧宮殿芸術協会
運営:クリエイト・アイエムエス株式会社
Profile /経歴
有角博 Hiroshi Arikado
1930年 富山県高岡市出身
2006年 有角博画集発刊
絵画グループまどか 主宰








