2022年特別対談 長岡美和子×ゲルマー・トモコ
ゲルマー・トモコ(以下、ゲルマー):長岡先生とは何度もお会いさせていただいておりますね。早速ですが今日お持ちいただいたこちらの作品についてお伺いできますでしょうか。
長岡美和子(以下、長岡):こちらの作品は私の41回目の個展で発表したものです。私は文学作品から着想を得て、浮かんだ一字を書すという取り組みを行っており、その41回目の個展でテーマで選んだものが中原中也の詩集でした。
以前金沢へ行ったときに、偶然ある神社に立ち寄ったことがありまして、境内にある大きな木が目に止まったので根元まで行ってみると、そこに立札で「この木の下で中原中也は「サーカス」の着想を得た」と書いてあったんですね。その時からいつか中原中也の詩を使わせてもらいたいなと思っていたんです。それで今から一年前ぐらいですかね。神保町の古本屋へ探しに行きまして、この復刻版の本を見つけたんです。
私は本を読んでいる時、これっていう文字が思い浮かんだら、すっと活字の中から一字がふっと立ち上がってくるんですよ。だからこれって決めて書いたわけではない。100個くらい書いて、その幾つかが作品になります。
ゲルマー:文字が浮かび上がってくるというのは非常に興味深いですね。その一字には長岡先生がどう感じたかが集約されているように感じます。先生は本を読む時決まった進め方があるのでしょうか。
長岡:私の場合はまず全てに目を通し、次に読むときに浮かび上がった一字を書き出していきます。
ただこの一字書を見ていただく時には、私がどう思ったかではなくて、見る方がその本を読んでどう感じたかを大切にしてもらった方がいいですね。私は自由に書いているので、作品を見た方にも固定概念を捨てて自由に受け取ってもらいたいです。ただ、いきなり中也の詩を読んで理解すると言っても難しいですけど。
ゲルマー:確かに固定概念に縛られない、自由な作風がドイツでも好評でした。
しかし昨年からのコロナのパンデミックのせいで、日常生活というものが大きく変わってしまいました。創作活動にも影響があったかと思うのですが、発生当時はどんなことを思われましたか?
長岡:とにかく大変なことになったなと思いましたね。私も戦後生まれで、戦争の大変さは実感としてはありません。社会の危機を目の当たりにしたことがありませんでしたから。コロナは自分の命に関わるし、相手の命を奪うかもしれない。こんな経験は初めてで、どうしたらいいかわからない。ただ目の前のことをしっかりやっていこうと思いました。
しかし、外出の自粛を求められたのは辛かったです。私の中で作品は感動して仕上がるもの。家の中では作品を書ける時間は多いですけど、感動は少ない。私にとって色々な感性に触れることは制作をする上で非常に重要なことなんです。
ゲルマー:なるほど、その時々の感動がないと完成しないものなんですね。色々なものに触れることで感性を磨かれ、それが作品の基礎となっていくんですね。
長岡:はい。ただただ終息を願うばかりです。話は変わりますが、ゲルマーさんから見て日本人とドイツ人が根本的に違うと感じられる部分はどこですか。
ゲルマー:人間としてはみんな同じだとは思います。ただ違いがあるとすれば民族的な部分、「文化」の違いです。ドイツでは日本に比べて自分の意見を述べる機会が多くあります。そこで自分の考え方を持たないのは無知だと思われる。だからこそ個を尊重する土俵がありますね。
長岡:私は自分の意見を言ってしまう方ですけど、確かに日本人は世界から見て自分の意見を言えないと言われていますもんね。日本は逆に意見を言わないことの方が慎ましい、察することが思いやりという美徳があります。しかし芸術や墨象の世界ではそうではいられない。
ゲルマー:そうですね。芸術の世界では自分の世界をどう表現するかという一点に尽きるので、自分の意見や見方がないというのはあり得ないですものね。
長岡:書道の場合は一般的にきれいに書くことが基本と思われています。実際書道をする方に多いのはきれいに書く書道の方です。しかしきれいに書くという目的が達成されればそれで目的は達成されます。そこに感情とかはいらない。
私は書芸術を表現するものとして自分の感情や考え方はとても大切にしています。それを表現できるのが墨象という世界です。
ゲルマー:感情や意志があるからこそ、先生の作品は言葉の違う海外の大勢の方たちにも伝わっていますものね。ちなみに先生はどのような経緯で書を始められたんですか。
長岡:私は大学で書道を勉強したかったのですが、そのような学校はなかったので一般の大学に入り、そこのクラブ活動で書を始めました。そこの顧問だったのが酒井葩雪先生で、「墨象」はその師匠だった上田桑鳩先生によって発案されたものです。「墨象」と呼ばれるようになったのはなぜかと言いますと、書はもともと「心得」だったんです。きれいに書くというのはお茶やお花と同じように心得です。いわゆる教養です。尊敬されるべき人は綺麗な字であるべきというものです。しかしそれは芸術ではありません。対して墨象というのは心得ではなくて、自身の感情が表すことのできる書芸術と上田先生は考えたわけです。
私は書道を始めるまでは「墨象」を知らなかったのですが、書きたいものを書いていくうちに「墨象」の世界へと進んでいきました。その出会いがなかったら、今の私はなかったと思います。上田先生の考えとは違うかもしれないですけど、私は私なりに考えて、表現できればいいと思っています。
ゲルマー:それはもう運命と呼ぶしかないですね。もちろん選択をするときにその選択を可能にする感性があったからなのでしょうけれども。最後に今後作品の制作や活動への抱負があれば教えていただけますか。
長岡:私は計画を立てて制作をしているわけではないですし、またスローガンを掲げてそれに近づいて活動をしているわけでもない。それは一字を選ぶときも同じです。以前「作品にする言葉はどう選ぶのですか」と聞かれたことがありました。しかし私の場合は本が教えてくれますし、作品が教えてくれるので選ぶわけではない。作品の方からこっちの方が良いと言ってくれるのでそれを作品にしているだけなんです。確かに何十枚、何百枚と書いてから一つだけを選ぶ作業はしますけど、それも作品が言ってくれる。もうできているとか、もっと書いた方がいいとか。だから目標や計画を掲げるみたいなことはできないんです。
ただいつも変わらずいい作品を作るために邁進していきたいということです。豊かなものを持っている作品を選ばないことには、私の作品もいいものにはならないので感性を磨き続けたいと思います。まだまだ努力し続けたいですね。
ゲルマー:貴重なお話の数々をありがとうございました。本日のお伺いさせていただいた長岡先生の作品の背景にある思いや考え方をお伺いし、それを今後の海外展の時にはしっかりと伝えていかなくてはと強く思いました。まずは4月、パリで開催される日欧宮殿芸術祭2022にて作品と共に今日のことをお伝えさせていただきますのでよろしくお願い致します。
長岡:よろしくお願い致します。本日はありがとうございました。

