2024年特別対談 若狹麻都佳×ゲルマー・トモコ
ジャンルを超越する創作の旅人、その死生観と美の境地
ゲルマー・トモコ(以下 ゲルマー): 初めまして。若狹先生の作品は文芸作品という枠を超えて一つの新たなジャンルのように感じながら、ドイツ・シャルロッテンブルク宮殿のブース個展を拝見していました。現在のような活動に至った経緯などをお聞きしてもよろしいでしょうか?
若狹麻都佳(以下 若狹): 私は子どもの頃から体が弱くて、いわゆる虚弱体質でした。そのせいか、肉体的な制約に対して反発するように表現の道へと向かっていったんです。当初は演劇や舞踏など色々な表現世界をグループでやっていたのですが、時間の流れと共にメンバーが減っていきました。そこで、パフォーマンス・踊り・舞踏を組み合わせて、自分の思い通りのことをやろうと思い立ちまして、手探りで新たな表現に取り組みました。ただ、体が丈夫なわけではありませんので、とうとう限界が来たのですが、なぜだか詩のイメージだけは浮かぶんですよ。それで、手当たり次第に思いついたことを書いていました。そこでもう少し形になるものにしようと思いまして、自分がパフォーマンスをしていた時の写真やイメージを重ねていく新たな表現を思いつきました。それが、今回の作品の形式にもなっています。
ゲルマー: 私も最初に若狹先生の作品を拝見した時、どうしてこのような新しい形式の詩表現が誕生したのだろうと不思議に思っていました。でも、これをお一人で制作するのはかなり難しいのではないですか?
若狹: 協力してくれる方々と“チームまどか”でやって来ました。写っている写真は、大抵がパフォーマンス表現をしていた時の自分です。写真や画像、詩を書く私と舞台に居た私、様々な変化を混在させることで、そこに芸術としての詩の広がりを感じてもらいたいんです。
ゲルマー: 若狹先生のお話を聞いていると、他の文芸作家さんとは観点が全く違うと感じますね。作品作りについてはいかがでしょう。どのようなことを大切にしていますか?
若狹: 美ですね。そもそも私の考える美というのは、素晴らしい作品ならばあらゆるものに宿っていると思うのです。例えばグロテスクなものに美を感じることってありませんか?
ゲルマー: 確かにわかります。ゴシックホラーなんかがそうですよね。
若狹: そうそう!私は鈴木清順監督の映画がとても好きなんです。どこかグロテスクだったり、バイオレンスが投入される表現があったり、と怖さすら感じるのに、圧倒的な美学があるんですね。あの独特な世界観…だから見ていて惹き込まれると言いますか。
ゲルマー: 話を聞いて理解できたような気がします。本来なら、背景はもっと毒々しさがあってもいいですよね。でもそうしないのは、この作品の全貌が見えた瞬間の印象が美しいものであってほしいということなのだろうということなのですね。シャルロッテンブルク展の個展ブースを覚えていらっしゃいますか? あの時も若狹先生のところだけ空気が違っていて、異空間のようで素晴らしかったですよ。特に先生のちょっとした空間の取り方、間の明け方などに興味を惹かれる人が多かったですね。
若狹: ありがとうございます。実は私、五つ年上の兄がいたんですが、私が十三歳の時に病気で亡くなったんです。私の方が虚弱体質でしたのに、兄に先立たれたことで、尚更死ぬということ、失うということに囚われて生き続けてきた感があります。「どうすれば死者と共に生きていけるのか?」常に頭の中でそういう考えを持ち続けてきました。正にメメントモリなのです。
ゲルマー: まさにそれが若狹先生の創作の原動力なのですね。今わかった気がします。最後に、これから作品を通じて伝えたいメッセージなどお伺いしてもよろしいでしょうか?
若狹: ジョン・レノンは、戦争のない世界などを歌ったりしていましたよね。でもおそらく彼自身それが無理なことを十二分に承知した上で、あえて歌っていたのではないかと…。そしてそこに、世界中が薄々気づき始めているのではないでしょうか。ただ、詩や絵画、音楽、芸術などを感じるという気持ちはどんなに価値観の違う人間の中でも等しくあります。感動している瞬間には、国境はありません。私の作品にそういった力がどこまであるかわかりませんが、少しでも色々な人に感動をもたらし、国境をなくすことができたら表現者冥利に尽きますね。

ピルグリムー冥き裸体の縁取り