山に学び、法に向き合った人生から紡がれる言葉
ゲルマー・トモコ(以下 ゲルマー):初めまして、日欧宮殿芸術協会・欧州支局長のゲルマーと申します。先生の作品は、これまで何度も展覧会で拝見していたのですが、本日は直接お話を伺えるということで、とても楽しみにしておりました。
清雄策(以下 清):初めまして、清と申します。私も、ゲルマーさんにお会いできるのを楽しみにしておりました。
ゲルマー:ありがとうございます。本日は、清先生がご出版された『山と生きた裁判官』を中心に、作品と言葉の背景をお伺いできればと思います。まず、先生の中で「山」がこれほど大きな存在になったのは、いつ頃からなのでしょうか。
清:私は子どもの頃から、自然への憧れが非常に強かったんです。最も印象的だったのは10歳前後だったと思いますが、国語の教科書で田辺重治先生の紀行文「笛吹川を遡る」「燕岳に登る」を読んで、山の自然への憧れが一層強くなったのです。高校生の頃までは、よく公園を巡ったり、近場の山歩きに行っていました。大学に入ると忙しくなってしまい、山歩きなどをする時間もなかなか取れなくなったのですが、仕事を始めてからは、意識的に山へ登るようになりました。
ゲルマー:教科書の文章が、人生の芯に残り続けるなんて、とても印象的なお話ですね。田辺重治先生の言葉が、清先生の「山の入口」になったということでしょうか。
清:そうですね。その後押しもあって、社会人になって以降、日本中の山々を登りました。日本には日帰りで下山できないような険しい山も多いので、雪の中でテントを張ったことも少なくありません。しかし三千メートルを超える日本の山は、すべて制覇することができました。ただ職業柄、日本各地を転勤しなければならなかったので、登りたい山があってもなかなか実行できないこともありましたね。でも、それを機会に変えていった面もあります。例えば、北海道の山に登りたいと思い、自分から希望して北海道に転勤したこともありました。そのおかげで、北海道のめぼしい山はほとんど登ることができましたね。とくに網走の自然は圧巻でしたよ。
ゲルマー:ご自身の仕事の移動を、山の地図に変えてしまうような生き方ですね。しかも「希望して北海道へ」というのが、先生らしい決断力だと思います。ところで、先生が最初に登られた山はどちらだったのですか。
清:私は静岡の生まれですから、周りに山はいくらでもあるんです。最初は、龍爪山(りゅうそうざん)でした。千メートルほどの山ですね。そこから少しずつ標高を上げていって、三千メートル級にも登るようになりました。
ゲルマー:入口は身近な山だったのに、気づけば日本を代表する高峰へ。積み上げの力を感じます。先生は、どれくらいの頻度で登られていたのでしょう。
清:毎月のように登っていました。仕事が忙しい時も、無理をしてでも行きましたね。忙しければ忙しいほど、山に登りたくなるんです。私にとっては何よりの癒しでした。
ゲルマー:山が先生の中に溜まったものを洗い流してくれる、そういう存在だったのですね。
清:まさにそうです。そして山に登っていると、不思議と人のことが、より見えてくるような気がしていました。自然と自然が共存し、時には対立しながらそこに存在している。その関係性を人間の社会に重ねて見たりして、物事をクリアに、俯瞰して見られるようになった気がします。それと年々ですね、真冬のような負荷のかかる時期に行くようになっていくんです。自然と一体化するというのは、言葉で言い表しにくいほどの充実感があります。
ゲルマー:その“言葉にならない充実感”が、先生の文章を通して伝わってくるのだと思います。先生は裁判官という仕事、つまり人と人の争いの最前線にいながら、山という対極の場所に身を置いてこられた。そこには、どのような必然があったのでしょうか。
清:私がしていた仕事は、人のいざこざの間に入り、判決や和解など、結論をつけていくことです。基本的には、人と人との争いを見ているわけです。本当に細かいことから争いが始まる。そういう世界で働くことを私は選びました。本来は争いがない世界が理想ですが、人と人が生きていれば、どうしても生まれてしまう。楽ではありませんでしたが、誰かがやらなくてはならない仕事ですからね。だから、ある意味で逃げだったと思います。山に癒しを求めていました。当時は仕事のことが夢に出たくらいでしたから。
ゲルマー:それほど大変なお仕事だったということですよね。
清:そうですね。私は考え抜いて仕事と向き合っていました。「物事を平和な状態にするとはどういうことか」ということも、ずっと考えていました。裁判と山は対極にあるようで、どちらも力の限りを尽くす点では共通していると思います。力の限りを尽くして、初めて行為に意味が生まれるような気がするんです。
ゲルマー:大変深い言葉です。先生は本の中で家庭裁判所調査官として少年たちと向き合っていく場面が、とても具体的に描かれていました。家庭裁判所の標語「家庭に光を、少年に愛を」、そして調査官が面接の一回で、時にその後の人生に影響する判断材料を作る、という緊張感。先生はその重さを、日々抱えていたのですよね。
清:はい。調査官の仕事の中核は、少年と保護者との面接でした。常に多くの事件を担当しますから、その大半は一回の面接で処理しなければならない。結果が、対象者の将来を決することもある。重かったですね。
ゲルマー:それはとても重いことですね。先生の中で、山にいる時に得られるものは、裁判所の現場にどのように還元されていったのでしょうか。
清:山にいると、自分の中の余計なものが落ちていく感覚があります。そうすると、人を見る目も、少し変わる。人間の争いを扱う現場では、どうしても感情や利害が絡みます。でも山では、自然の関係性がそのままある。共存もあれば対立もある。そこから学ぶことがあったように思います。
ゲルマー:素晴らしいです。ちなみに山から多くを学ぶ中で危険なこともあったのではないでしょうか。
清:二回ほどありました。二回とも滑落です。二回ともピッケルで何とか止まりましたが。そのうち一回は「命の蔦」というところで、本にも書いています。滑って蔦につかまったのですが、それが切れていたら、今ここにはいなかったかもしれません。必死に蔦をつかんで、何とか下に降りました。降りた頃には着ている服も手袋もぼろぼろで、降り切ったところで失神していました。
ゲルマー:言葉を失うほどの体験ですね。とても生々しいというか。生きていてよかったです。そのような経験をされても、また山に向かうのは、なぜだったのでしょうか。
清:なぜでしょうか。気がついたら、またすぐに登っていましたよ。
ゲルマー:先生の人生がそこには表れているように感じます。本日お話をお伺いして、この本が“経験”から生まれた、先生の“生き方の記録”なのだと改めて確信しました。先生の文章が強いのは、出来事の激しさではなく、常に誠実に向き合い、考え抜いてこられた時間が刻まれているからだと思います。
清:そうおっしゃっていただけて嬉しく思います。
ゲルマー:今後の海外展の際には、先生とのお話を海外の方々にもしっかりと伝えていきたいと思います。本日は貴重なお話ありがとうございました。
清:私もとてもいい時間でした。ありがとうございました。