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川とともに生き、言葉で未来へつなぐ

ゲルマー・トモコ(以下 ゲルマー):初めまして永澤先生。『川は生きちょる』、大変興味深く拝見しました。川とともに生きてきた方の言葉には、文章を超えた実感がありますね。まずは、簡単にご自身のことをお聞かせいただけますか。

永澤正好(以下 永澤):高知県出身の永澤正好です。私は四万十川と、もう一本の川に挟まれた地域で育ちました。その二つの川は先に行くと合流するのですが、その間にある町が紺屋町と呼ばれる場所で、織物や染め物が盛んな土地でした。祖母も機織りや藍染をしていて、糸を織り、藍で染め、それを川で洗い、水から上げて庭に干す。そうした作業を、子どもの頃から日常的に手伝っていました。

永澤:また、四万十川ではエビを取ったり、竹で編んだ籠を使って鰻を取ったりもしていました。そうした実体験をまとめたものが、『川は生きちょる』です。

ゲルマー:川が、生活の背景としてあるのではなく、生活そのものだったのですね。方言で書かれている点も、とても印象に残りました。

永澤:だから本の題名も「生きちょる」なんです。この本の中では、岡村三男翁さんという川漁師の方にお話を伺っていますが、川のことを自分の言葉で語れる人が、もうほとんどいなくなってしまいました。さらに言えば、その話を聞いて理解できる人も、少なくなっている。

永澤:だからこそ、川とともに生きてきた私が、これを書き留めなければならないと思いました。徳島にも足を運びましたが、そこにも同じように川と生きる人たちがいて、川を辿っていくと、山や渓流で暮らす人たちとも出会っていった。そうした人たちとの交流が、この本の中に記されています。

ゲルマー:お話を伺っていると、川を単なる自然環境としてではなく、「生きもの」として捉えていらっしゃるのがよくわかります。本の中で特に印象的だったのが、「瀬は川の肺や肝臓」という表現でした。

永澤:あれは岡村翁さんの言葉です。瀬があることで水は濾過され、伏流水が生まれる。瀬は川の肺や肝臓の役割を果たしている。そして、その瀬の目詰まりを防いでいたのが鰻だった、という話です。

永澤:鰻が砂利の中を縫うように動くことで、川は自らを浄化してきた。長い時間をかけて、生態系そのものが学習してきた結果だと思います。洪水が最後に流し去り、海では干潟や海藻林が浄化を担う。川と海は、生きた存在として共同作業をしているんです。

ゲルマー:自然と人の営みが、分断されていない世界ですね。その感覚は、現代ではむしろ新鮮に映ります。

永澤:昔は特別なことではなかったんです。当たり前の暮らしだった。それが、いつの間にか見えなくなってしまったんですね。

ゲルマー:学んだこと、感じたことを残したいという先生の意向は、教育の話にもつながっていきますよね。

永澤:そうですね。それで香川県では、教育の現場にも深く関わることになりました。

永澤:あるとき、香川県で講演を依頼されて訪れた学校が、ひと学年に十八学級もある非常に大規模な学校だったんです。その状況を目の当たりにして、私は「新しい学校を作るべきだ」と、思わず口にしました。

永澤:そこから、行政や関係各所に働きかけを続けた結果、最終的には四校の新設が決まり、そのすべての立ち上げに関わることになりました。そのうち三校では、校長も務めましたよ。

ゲルマー:それは並大抵のことではありませんね。

永澤:ええ。そこで私が書いたのが、「未来を築く学び」という指針です。

永澤:新しい学校は、何を目指し、どうあるべきか。その理念を書き記したもので、それが四つの学校すべての指針になりました。

ゲルマー:理念を言葉にし、それを実際の学校運営にまで落とし込む。その実行力に、ただ驚かされます。

永澤:実際には、大変なことも多かったですよ。「学校を作れ」なんて私が言い出すものですから、周囲からは、私のことを赤だ、つまり革命派だと思っていた人もいたみたいでね。

永澤:何年も経ってから「あなたは赤じゃなかったんだね」なんて言われて、こちらが驚きました(笑)。

ゲルマー:時代を先取りしすぎていた、ということなのかもしれませんね。指針の中にある「生徒は一人ひとり、自分を探す旅に出る」という言葉は、今の若い世代にこそ響く強いメッセージだと感じます。

永澤:あの指針は、まさに現代の人たちにこそ読んでほしい文章です。ただ、当時はあまりにも言葉が強すぎて、対外的にそのまま出すことはできませんでした。そうした言葉は、すぐに思想的だと受け取られてしまう時代でしたからね。

ゲルマー:それでも、世に出すことを諦めなかった。

永澤:ええ。ちょうどその頃、懸賞論文という制度があって、その賞金が十万円だったんです。そこで、私が書いた論文を応募したところ、入賞することができました。その賞金を使って出版社に掛け合い、学校の広報誌という形で、この指針を掲載したんです。

ゲルマー:素晴らしいです。その姿勢は、先生のこれまでの執筆活動すべてに通じているように感じます。

永澤:そうかもしれないですね。これまで本を書いたり、新聞に寄稿したりしてきましたが、結局のところ、すべてに共通しているのは、「何かを伝えたい」「残しておきたい」という思いだと思います。

ゲルマー:その核心が、今のお話に凝縮されていますね。

永澤:実際、私はこんなことを書いてきました。

永澤:「自主・自立・友愛に基づいた生徒指導は、自主性を尊重しながら、一人ひとりの内なる気概によって自立することを求めていく。このようにして伸びていくからこそ、生徒たちに豊かな未来があると確信している。上級に進んでも、社会に出ても、自分の居場所を確かなものとし、自分の力を発揮できる存在になってほしい―」

永澤:そうした思いを、言葉にしてきました。

ゲルマー:教育を「管理」ではなく、「背中を押すこと」として捉えていらっしゃる。その姿勢が一貫しているように思います。

永澤:だからこそ、自分の言葉に対して妥協はできませんでした。書いた以上は、自分自身がその言葉に恥じない生き方をしなければならない。そう思って、ここまでやってきたのだと思います。

ゲルマー:今伺ったお話を聞いていると、先生が一貫して「残すこと」「手渡すこと」を大切にしてこられたのがよくわかります。川の記憶を言葉で残すことも、教育の理念を言葉にして形にすることも、その根は同じなのだと感じました。

ゲルマー:今回の出展作品にも、その姿勢が色濃く表れていますね。作品を通して、どのような思いを伝えたいとお考えでしょうか。

永澤:自立した学習者として、自ら問いを深め、しっかり歩んでいく人を支えたいという思いがあります。心豊かな日本社会の手助けになればと願っています。

ゲルマー:なるほど。文章や作品を通して、社会に対する強いまなざしを感じます。

ゲルマー:先生が執筆を続けていくうえで、特にぶれずに意識されていることは、どんな点でしょうか。

永澤:差別のない日本社会、そして戦争のない世界を目指すことです。どんなに小さな一歩でも、歩み続けることが大切だと思っています。その積み重ねが、社会を少しずつ変えていくと信じています。

ゲルマー:先生の言葉は、「現場で生きてきた人の思い」として響きます。だからこそ重いし、同時に、読む側の背筋も伸びるのだと思います。

ゲルマー:その歩みをさらに先へ進めるとしたら、これから改めて向き合ってみたいテーマも、すでに見えていらっしゃるのでしょうか。

永澤:被差別部落の方々にお話を伺い、それを書き残したいと思っています。差別とは何か。私たちは、まだ十分に学んでいない。そのことを、きちんと見つめ直す必要があると感じています。

ゲルマー:『川は生きちょる』で描かれていることが、人へ、教育へ、そして社会全体へと自然につながっていく。その流れを、今日のお話で深く理解することができました。本日は本当に貴重なお話をありがとうございました。

永澤:こちらこそ、ありがとうございました。

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