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Portfolio /作品一覧

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Talk Session /特別対談

“ 平和も手芸もひと針ひと針” にこだわり。刺繍アートと慈愛のひと

カトリン=スザンネ・シュミット(以下 シュミット):山形先生は大阪の泉佐野市にお住まいだそうですね。確か、大きな橋が架けられた空港(関西国際空港)があるところですね。

山形緋紗美(以下 山形):よくご存知ですね。シュミットさんは何度も日本には来られていたんですか。

シュミット:私は日本学科を卒業してその後日本の銀行に勤めていたことがあります。現在はベルリンに住んでいますが、文化交流の仕事で毎年のように日本にはきていました。ここ 3 年はコロナウィルス感染症のために中断されていたのですが、今回日欧宮殿芸術協会からお話をいただいて久しぶりに来日することができました。

山形:それは本当によかったです。

シュミット:山形先生の作品、海外展で度々拝見しています。素晴らしい刺繍アートだと思っていたのですが、いつから制作活動をされていらっしゃるんでしょうか。

山形:父方のおばが物作りが好きでそれを見よう見まねでやったことがきっかけですかね。刺繍をやったのは中学生くらいからだったと思います。大人になって、だんだんと仕事になったり、自己表現になったりしていきました。

シュミット:非常に長い時間をかけて、磨き上げられた技術なのですね。作品の出来栄えを見ると、確かに納得です。今回池袋で開催されている展覧会にも作品をご出展くださっていますね。会場でも拝見したのですが、こちらはどんな素材で出来ているんですか。

山形:これはフランス刺繍の地にフランスの刺繍糸からできています。刺繍糸は 400 色くらいありましてそれを一本ずつ選んで挿していくという感じですかね。これはお坊さんを作品にしておりますが、一つひとつの数珠に合わせて色を変えてひと針ひと針縫っていきました。

シュミット:実体験が元になっていらっしゃるんですね。風がそよぐところも表現されているように感じます。よく見てみると同じ緑でも色々な緑の糸が使われているのがわかります。どこの国にもそれぞれ刺繍はあります。ただ基本的には洋服とかテーブルクロス、ハンカチとかですよね。なのでドイツではこういった作品を額にするということをあまり見ないので非常に興味深いです。山形先生の作品は海外でよく「他の方では表現できない刺繍」と言われることも多く、独自性を感じるのですが、制作する上でこだわっている部分はどういったことでしょうか。

山形:こだわりですか。私は好きでやっているのでそれは大切にしています。先ほどもお話しした通りおばが洋裁をやっていて、その影響で針と糸が好きになりました。ミシンもない時から糸と針だけでいろいろと縫っていたんです。その頃の経験が今の作品に表れているんじゃないでしょうか。やはり作ることは今でも好きですね。

シュミット:それは何よりも大切ですね。ちなみに今回の交流展ではドイツやフランスの作品がありますね。芸術を通して国と国が繋がることを山形先生はどのようにお考えでしょうか。

山形:芸術はどこの国にもいつの時代にもあるじゃないですか。ですのでどの国通してでも分かり合えるものだと思います。それは平和にも繋がると思います。

シュミット:それは今一番大切な考え方です。現在はウクライナとロシアの戦争でドイツも色さまざまな問題を抱えています。このような時代だからこそ、作品を通して伝えたいメッセージはありますか。

山形:とにかく戦争は良くないと感じますね。私は実際に戦争を体験して、和歌山の方で爆撃があったことを今でも強く覚えています。本当に平和が大切です。

シュミット:全く同感です。私は戦争を体験していないですけれど、平和の大切さを伝えるのは誰にとってもいつだって責務ですよね。今日はそんな思いを共有できてよかったです。最後の質問になりますが、これから取り組んでみたいことはありますか。

山形:難しいですね。でもこの作品のようにずっと修行という気持ちでひと針ひと針縫っていきたいです。シュミット:それが自然と向上心になっているんですね。応援しております。本日はありがとうございました。

(2022年特別対談 山形緋紗美×カトリン=スザンネ・シュミット)

Carefully achieving “both peace and handcraft, stitch by stitch.” Embroidery art and a loving person

弘法大師/Priest Kukai

Katrin-Susanne Schmidt: Ms. Yamagata, I hear you live in Izumisano city, Osaka? Isn’t that where the airport (Kansai International Airport) with a large bridge is?

Yamagata Hisami: You have good knowledge. Have you been to Japan many times?

Schmidt: After graduating in Japanese, I worked for a time in a Japanese bank. I now live in Berlin, but I used to visit Japan every year with work in cultural exchange. That stopped for the last three years due to the COVID-19 pandemic, but being invited by the Japan- Europe Palace Art Association, I was able to visit Japan again at last.

Yamagata: I’m really glad to hear that.

Schmidt: I ’ve seen your artwork on many occasions at overseas exhibitions. I have always thought what splendid embroidery art it is— when did you begin producing it?

Yamagata: My aunt on my father’s side liked making things, and I watched and copied her, and that led to it. I think it was around my junior high school days that I began embroidery. Once an adult, it gradually became my work, and I began to express myself in it.

Schmidt: It’s a technique that you have spent a very long time perfecting. I am certainly convinced seeing the workmanship that has gone into the artwork. You are also exhibiting artwork at the exhibition held this time in Ikebukuro, aren’t you? I had a chance to see it at the venue—what kind of materials is this one made from?

Yamagata: It’s made from French embroidery thread on a French embroidery backing. There are around 400 colors of embroidery thread, and I kind of choose each one that I add to it. This artwork is of a priest, and I have sewn it stitch by stitch, changing colors to suit each of the rosary beads.

Schmidt: It’s extremely beautiful. I have seen your work on many occasions to date, but the first time I thought it was a painting. It’s very intricate, isn’t it? May I ask what kind of art you usually use as theme to produce your work?

Yamagata: They are mostly scenes and flowers. I use something as theme that I take a fancy to at the moment. There are various illustrations, but if I draw them myself, they become original, and that’s what’s important to me. In the case of this work, I had the opportunity to talk with a priest who was passing by my house. He said he was on his way to training at Mt. Koya, yet he was kind enough to give me a hanging scroll. It left such a deep impression on me that I decided to make it into an artwork.

Schmidt: Your work is based on real experience, then, isn’t it? I feel that it expresses even the blowing of the breeze. Looking closely, I see that what looks green actually uses various different green threads.Every country has its own embroidery. However, it is fundamentally used in Western clothing, tablecloths, handkerchiefs and the like. So, in Germany you don’t often see a work like this in a frame, and that makes it incredibly interesting. Your artwork is often described overseas as “Embroidery that others cannot express”and has a sense of uniqueness—what areas do you pay particular attention to when producing it? 

Yamagata: Areas of particular attention? I do itbecause I like it, and that’s what’s precious to me. As I said earlier, my aunt did dressmaking, and I got to like needles and thread from her influence. I sewed various things using just thread and needle from when I had no sewing machine. Maybe my experience from that time appears in my artwork now. I just still like making things.

Schmidt: That is the most precious thing of all. There are also artworks from Germany and France at the exchange exhibition this time. Ms. Yamagata, what do you think about connecting country and country through art?

Yamagata: Hasn’t there always been art in whatever country and whatever the age? Therefore, I think it is something mutually understood whatever country it goes to. I think that also links to peace.

Schmidt: That is the most important way of thinking for today. At present, Germany, too, is caught up in many issues in the war between the Ukraine and Russia. At a time like this, is there any message you would like to convey through your artwork?

Yamagata: At any rate, I feel that war is not a good thing. I experienced war for real, and I still remember vividly the bombing in Wakayama even now. Peace is really precious.

Schmidt: I totally agree with you. Although I haven’t experienced war, the responsibility of conveying the preciousness of peace is on everyone at any time.I am glad we have been able to share our feelings today. My final question is, is there anything you would like to try from now?

Yamagata: I’m not sure. But I hope to continue sewing stitch by stitch with a sense of Buddhist training like in this artwork.

Schmidt: That is a natural sense of inspiration, isn’t it? I support you. Thank you very much.

(Special Talk Session in 2022, Hisami Yamagata and Katrin-Suzanne Schmidt)


Art History /アートヒストリー

序文

刺繍アーティストの山形緋紗美は、静かな人である。自ら語らず、いつも穏やかに微笑んでいる。作品もまた、どこか凪のように優しく緩やかである。アートは表現すること、つまり自分自身を表に出すことであり、山形の精神性とは正反対のようにすら思える。ここでは、山形緋紗美という人の半生を追うと共に、その素晴らしい刺繍の世界が表の世界に解き放たれたきっかけについてご紹介したい。

幼少期

山形緋紗美は昭和15(1940)年1月16日、大阪府泉南市に生まれました。
現在では大阪湾に関西国際空港が設けられる“西日本の空の玄関”として知られ、市内北西側には関連企業も多数並びます。一方南東側には和泉山脈が横断する山地となっており、温暖な気候も手伝って農業が盛んです。山形も子どもの頃の光景として田畑が多かったことを記憶しており、農家のおじさんおばさんが家族のように優しく接してくれたことを昨日のことのように思い出すと言います。こうした歴史豊かでフレンドリーな人々に育まれ、山形も優しい性格の子どもとして成長していきました。
中でも親以外でもっとも大きな影響をもたらしたのが、父方のおばの存在でした。洋裁が得意だったというおばはたびたび縫い物などを見せてくれたそうで、山形はその魔法のような手仕事に魅了されていったと言います。
一方で彼女が誕生した1940年は戦中真っ只中に当たり、日本中が極めて厳しい事態に直面していました。幼心にもその異様な空気は肌で感じ取っていたそうで、近隣の和歌山県で爆撃があった際の言い知れない不安な気持ちは今も忘れられないと言います。
山形は現在、平和へのメッセージを込めて海外との芸術文化交流で作品を出展していますが、そこには自身の幼少期のような思いを次の世代の子どもたちに味合わせたくないという強い思いがあるのでしょう。

学生時代

戦中と共に幼少期を終えた山形は、地元泉南市で中学、高校へと進学して行きます。
時代が戦後へと移り変わった当時はまさしく激動の時代で、のどかな泉南の里にもその影響は少なからずあったと言います。まだまだ学生も勉強に集中できるようなご時世ではなかったようですが、山形は真面目に勉学に励んだり、部活動でバレーボールに汗を流したりしながら、新たな時代に将来を夢見ていました。
芸術と出会ったのも、ちょうどこの時期だったと言います。美術の授業で水彩画を習ったり、風景画の課題で先生から大いに誉められたことは、表現する楽しさへの目覚めだったと言えるでしょう。さらにこの頃の美術の記憶は、自分が描くだけでなく、他の作品を見る楽しみも教えてくれたと言います。後にジャンルを問わず美術館や展覧会に足を運ぶようになったのも、美術の先生のおかげなのかもしれません。
もう一つ、中学から新たに始めたのが刺繍です。最初は簡単な手習いでしたが、大好きなおばの手ほどきを受けながら、コツコツと腕前を上達させていきました。
ところがそんな順風満帆な青春時代のさなか、山形は病に倒れてしまいます。幸い命に別状はありませんでしたが、体調面の不安から高校を退学することとなったのです。まさに人生で初めての挫折でした。
一方でこの苦い経験から、山形は様々なことを学びました。当たり前だと思っていたことが決して当たり前ではないこと、だからこそその時々を精一杯頑張る大切さ。それはやがて、優しさの中に強さを備えていくこととなりました。

社会人、芸術家として

山形が本格的に刺繍を学んだのは、22歳の時のことでした。刺繍上手な友達の母親から教えを受け、手習いだった腕前は作品と呼ばれるところまで飛躍的に成長を遂げて行ったのです。次第に山形は、自らが習う立場から、今度は自分が教える立場へと変わって行きます。その精巧な技術と芸術性のある刺繍は評判を呼び、生徒の数もだんだんと増えていきました。
それだけではありません。山形の表現する世界観が海外から刺繍のジャポニズムとして注目され、国際交流展から日本の代表として作品を出してほしいとオファーが舞い込むようになったのです。とくに人気を集めたのが、弘法大師空海など和の文化をテーマにした作品でした。弘法大師の作品は、高野山に出向く僧侶との交流をきっかけに制作されましたが、これは泉南の歴史豊かな風土が山形の一部となっていたからこそ生まれたひらめきだったと言えるでしょう。

弘法大師と所縁の深い林昌寺

現在も幼少期から積み重ねてきた刺繍の教えや故郷の息吹、芸術の心を大切に、山形は自らの創作と指導に励んでいます。現在の目標は?と尋ねると
「私の守り本尊を刺繍で表現していきたいですね」と答えた山形。
その優しく穏やかな人柄、素晴らしい作品、そして平和への祈りは、これからも多くの人々に広がっていくことでしょう。


Profile /経歴

山形緋紗美 Hisami Yamagata

大阪府出身
戸塚刺しゅう協会師範
作品出展国遍歴(JEPAA関連事業):フランス、イタリア、カナダ

Born:Osaka,Japan
Affiliated Group:
Totsuka  Embroidery Association (Master)
Exhibition of Works(JEPAA): France,Italy, Canada…

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