ARTIST TOP

2022年特別対談 公庄弘子×カトリン=スザンネ・シュミット

自由な創造力の源は、母との思い出と童心

カトリン=スザンネ・シュミット(以下 シュミット):公庄弘子様は、お母様の恵風先生と二代で芸術活動をなさっていらっしゃいますね。でも母娘で違うジャンルをやっているというのがとても面白いと思っていました。お母様の恵風先生は、水墨画家でいらっしゃいますね。作品は展覧会でよく拝見していました。とても日本の伝統を大切にした絵画だなといつも感心していました。一方の弘子様は、とても自由な創作をなさっていらっしゃいますね。枠に縛られずに表現できるというのは、芸術における大切な才能だと思います。今回の池袋展にもお二人それぞれに作品を出展されていますが、まず弘子さまの作品から解説をお願い致します。

公庄弘子(以下 公庄):この出展作は1986 年頃に制作したものです。40 年くらい前の作品で、その時にどのようなタイトルをつけたかも覚えていないので、あえてそのまま無題としました。作品を見た方には自由に解釈していただければと思っています。

シュミット:弘子様の作品は自由で独創的なので「自由に解釈してほしい」という言葉には弘子様のお人柄が表れているように感じます。ちなみにこれは花瓶ですか?それともオブジェですか?

公庄:私は花瓶のつもりで制作しましたが、見る人がオブジェと捉えたのならそれでいいと考えております。

シュミット:それもまた自由ということですね。こちらの作品にはどんな材料を使われているのでしょうか。

公庄:信しがらき楽(正式名は滋賀県甲賀市信楽町。日本を代表する陶器である信楽焼の産地として知られ、良質な陶芸用の粘土が取れる)の粘土を主に使っていて、そこに砂を少し混ぜています。成形は紐づくりで部分的に削り落としています。乾燥後、電気釜で素焼きします。次に、3 種類の釉薬をかけ、さらにもう一度焼いて(本焼)完成です。

シュミット:非常に手間暇がかかっているのですね。陶芸はドイツでもマイセン(ドイツのマイセン地方で生産される磁器の呼称。1709 年ごろ、錬金術師ベドガーが白磁の生産に成功したのがその起源とされる。名実ともに西洋白磁の頂点に君臨する名窯と言われる)などが盛んなので私も少しは知識があるのですが、実際にお話を聞くとすごく難しい世界なのだと改めて思います。

公庄:釉薬の塗り方で作品の印象が変わるので偶然も楽しみながら制作をしておりました。

シュミット:とても奥が深いですね。次は掛け軸について解説をお願いします。こちらはお母さま、恵風先生の作品ですね。この風景はどちらで見られる景色なんでしょうか? それとも現実にはない想像の景色ですか?

公庄:ここの描かれているのはきっと京都嵐山(京都市西部にある標高382 メートル の山。またその周辺の地名。観光地として有名)の保津川(京都府西部を南東流する川。周辺の峡谷は、川下りや観光トロッコ列車で知られる景勝地であり、京都府立保津峡自然公園に指定されている)だと思います。母の家から私の住む場所に行く道中にこのような風景が見えるところがあります。(JR 西日本の嵯峨野線)おそらく保津川です。ただ母は実際に見て書くというよりは、自身の故郷を思い出して描く人でした。思い出のイメージを膨らませて作品にすることが多かったようです。ある意味で心象表現とも言えます。

シュミット:なるほど、木を一つ取ってみても同じ木はなく、空気感みたいな軽やかさを感じますね。このような空気感をモノクロームで表現できる水墨画家は、改めてすごい芸術家だと思います。ところで恵風先生はいつから水墨をされていたのでしょうか。

公庄:80 歳位からだと思います。30 代から華道の道でスケッチ画を、70 代からは精密な表現の植物画を、その後、もっと大胆な表現を求めて水墨画に移行したようです。

シュミット:では生涯ずっと絵を描かれていたということですね。素晴らしいです。ちなみに恵風先生も弘子様もジャンルは違えど同じ芸術家ですが、弘子様への影響は大きかったのではないですか?

公庄:そうですね。何より芸術が近くにある環境で育ちました。母が大きなケント紙にこけしの絵を描いたことがありましたが、それを絨毯の代わりに和室に敷いて生活をしていたなんてこともあります。

山峡の一人旅 公庄恵風作 / Solo Travel in the Mountain Gorge

シュミット:芸術が生活の一部になっていたんですね。弘子様はなぜ水墨ではなく陶芸をされたのですか。

公庄:私は小さい頃にどろ遊びができなかったんですよ。子どもの頃は忙しくて遊んでいる暇も無く、子どもらしい遊びが出来ませんでした。だから陶芸をしていると童心にかえれる気がするんです。気がついたら陶芸をしておりましたね。現在はできていませんが陶芸を始めてからかれこれ40 年くらい経ちます。

シュミット:そうだったんですね。なぜ現在は作品制作をされないのですか。

公庄:しないというより今は仕事に追われてできていないという感じです。つい最近まで母の介護で手一杯だったのも理由の一つです。母は103 歳で3 年前に亡くなりました。

シュミット:実は私にも、介護が必要な母がいるんです。ですから弘子様がお一人で介護なさっていることがどれほどすごいことなのかはよく分かります。

公庄:ありがとうございます。私は元々小学校で教師をしていたのですが、早期退職してそれから母の世話をしたという感じです。

シュミット:全ては弘子様のおかげと言えるでしょう。最後になりますが、弘子様がこれからの目標や叶えたいことなどはありますか。

公庄:そうですね。これからは簡単なものでもいいから作品制作をしていけたらいいと思います。そして何をするにも健康が一番ですので、今やっている歌で健康を保ち続けたいですね。

シュミット:実は私も合唱団でコーラスをやっていたので、機会があればいつか一緒に歌いましょう。ぜひお体を大事に、これからも素晴らしい創作を続けてください。本日はありがとうございました。

公庄:はい、私も実現する日が来ることを楽しみにしております。こちらこそありがとうございました。

Safari未対応