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「赤いアジサイ」

はじめに

白い花瓶に活けられた二輪の赤い紫陽花。その優美な花々を中心に、幻想的な空間がキャンバス全体に展開されています。この作品の芸術性に、これまで国内外で多くの人々が魅了されてきました。
作者の名前は佐藤ユリ。
本作「赤いあじさい」は、彼女の代表作という枠でありながら、しかしある意味で彼女らしくない異色の作品でもあるのです。
本稿では、創作時のエピソードやインタビューを通して、佐藤氏と本作についてご紹介いたします。

生い立ち−絵画の道を志すまで

佐藤ユリ氏は、秋田県鳥海山の麓、自然豊かな農家の長女として誕生します。幼少期は体が弱く、祖母の手仕事を傍らで見つめるなど、静かな日々を過ごしました。その後、社会勉強のため上京し酒屋で住み込み勤務を経験。都会の暮らしに馴染んだ頃に結婚し、一時は当時の女性の「当たり前」として、家事と育児に専念する主婦生活を送ります。
しかし、友人の代役として夫に内緒で始めた訪問販売の仕事を通して、社交性や営業力など、これまでになかった一面を花開かせていきます。さらに訪問販売も順調に成績を伸ばしたことで、佐藤氏は社会的な自立と自信を手に入れることとなったのです。
絵画との再会も、そんな折に突然訪れました。街中で目に飛び込む絵画や彫刻に、ふと学生時代に絵を描いた楽しい記憶が蘇ります。今さらながらに自分がどれほど絵画が好きだったかを思い出すと、またあの頃のように絵に向かい合いたいという熱意が膨らんで行ったのです。
佐藤氏は、すぐに行動へと移します。自分が好きな抽象的な画風―ただし完全な抽象ではなく具象と入り混じったような世界観の多い公募展を探し、一番自分に合いそうなのが二科会ではないかとわかりました。そこで新聞の絵画教室の生徒募集を探し、二科会所属の先生の門戸を叩いたのです。先生はとても良い人で、すぐに入会を決断します。しかしそれは、思いもよらぬ苦難の始まりでもあったのです。

誰かに縛られない絵を目指して

念願の絵画教室に心を躍らせていた佐藤氏でしたが、すぐに思いもよらない障壁と直面します。
先生は風景画で実績のある画家でした。他の生徒たちは、先生の絵を見て「素敵だなぁ」「あんな絵が描きたいなぁ」と思って、懸命にその後を追いかけます。それは絵画教室のあるべき姿と言えるのかもしれません。ところが困ったことに、佐藤氏にはそんな気持ちなどさらさらなかったのです。
「私は人の真似をしたり、誰かに縛られたりするのが大嫌いなんです。」
それは、佐藤氏が生まれてから変わらず貫いてきたポリシーでした。
はじめは、とにかく先生と同じようにやってみようと、風景画を描いてみました。鳥海山を思い出しながら、ふるさとの秋田の風景を描いてみたこともありました。しかしどうにもしっくりこないのです。
そこで佐藤氏は思い立ちます。
「風景画を描かなければいいんだ」
そう決心すると、彼女はすぐに人物画を描き始めました。風景画ではないモチーフは他にも様々ありましたが、先生が人物画だけはほとんど描かないことを知っていました。少なくとも人物画を描いている間だけは、絶対に手を加えられることはないだろうと考えたのです。
すると、そんな佐藤氏の考えがぴたりと当たったかのように、先生は彼女の絵に手を加えることが無くなりました。不安から解放された佐藤氏は、堰を切ったように絵画に没頭するようになっていきます。

唯一無二の絵

我が道を切り開き、人物画や抽象的で自身の作風を見出した佐藤氏。そんな彼女が「赤いあじさい」を描いたのは、極めて異例のことでした。
ふと外に目をやると、庭に咲く紫陽花の赤が飛び込んできます。当時は赤い紫陽花がまだ珍しかったこともあり、その存在は一際輝いて見えました。またある時、赤に混じってピンク色の可愛い花が咲いているのを見つけます。個体差による気まぐれだったのかもしれませんが、気がつくとその不思議な美しさに、すっかり魅入られている佐藤氏がいました。
「描いてみよう」
すぐに絵に取り組みます。展覧会に出すことも意識していなかったので、いつもよりも小さなキャンバスを選びました。花を描く機会は人物画に比べると遥かに少なかったものの、得意の抽象的な表現を取り入れると、素晴らしい絵に仕上がりました。
「本来、花だけを描くことはないんですけどね」
しかしこの絵は、国内外の展覧会で高く評価を受けています。さらに佐藤氏を喜ばせたのは、妹が本作を気に入ってくれたことでした。真似が嫌いで我が道を突き進んできた佐藤氏ですが、大切な家族と想いを共有できたことで、いっそう思いが強くなることを実感したのです。
現在でも高い人気を誇る「赤いあじさい」。
それは唯一無二の絵画を追い求めてきた画家の作品群の中でも、唯一無二と呼ぶにふさわしい一枚と言えるのではないでしょうか。

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