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Art History /アートヒストリー

何事にも全力を尽くした青春時代

赤毛のアン

大学時代の金光氏

金光叔子は1958年5月、岡山県に生まれました。3人きょうだいの末っ子として大切に育てられ、父親の外出に叔子だけついていくことも多く、行く先々で可愛がられるアイドルでした。
そんな周囲からの愛情を一身に受け、叔子は元気で活発な子へと育ちます。体を動かすことが大好きで、いつも外へ遊びに行っていました。運動神経も良く、かけっこや鉄棒は男の子顔負けで、運動会ではいつもリレーの選手を務めました。パッチワークキルトで活躍する現在の姿とは真逆と言っても過言ではないでしょう。
母はそんな末娘の姿を案じたのか、ピアノやお習字、華道など、様々な習い事をやらせました。ところがそんな親心とは裏腹に、叔子の運動神経はますます冴え渡っていきます。どうやらその姿は近所でも有名だったらしく、大人になってから「(叔子さんって)あのよく走っていた子ですか?」と尋ねられるほどでした。しかし後年彼女がパッチワークキルトで芸術的才能を開花させる上で、当時の習い事は密かにその素養を育んでいたのかもしれません。
こうして中学・高校へと進学した叔子は、その後も運動を続けます。高校の進学先は地元でも有名なスポーツが盛んで、様々な競技で毎年のように全国大会へ出場するのはもちろん、日本代表選手も輩出したことのある名門校でした。叔子はテニス部に入部し、文武両道を目指して懸命に練習に励みます。運動神経の良さから大いに期待を集めていただけに、なんとかその思いに応えたいという思いもありました。
ところが高校生となった彼女に、思わぬ事態が待ち受けます。十二指腸潰瘍でした。
幸い回復はしたものの、この病が叔子の競技生活に大きな影を落とします。初めて体を思うように動かせない環境に置かれ、その後の進路についても考えるようになりました。
「大学に行きたい」
そんな思いが、ふと彼女の中に湧き上がります。元々4年制大学への進学は頭の中にありましたが、叔子の高校では卒業生の大多数が短大へ進んでいました。それでも自分は大学に行きたいという思いが、病を経て鮮明になっていったのです。
そして叔子は、テニス部を引退しました。運動が好きな叔子が、初めて自らの意志で運動から距離を置いた瞬間でした。しかしその決断もあり、大学受験に無事成功。念願の大学生となったのです。
その後も叔子は、テニスを続けました。大学では同好会でキャプテンを務め上げました。今置かれた環境を受け止め、自分にできる精一杯を尽くす彼女の生き方は、この時期に培われたのでしょう。結婚を境にしてテニスからは遠ざかってしまいますが、後に切り開かれる芸術家としての道も、こうした生き方があってこそ花ひらいたに違いありません。

結婚と義両親

義父と義母

25歳の時、叔子は近所の人からの紹介でお見合いをします。偶然にもクリスマスイブの日のことでした。それから早1ヶ月、年が明けて2月1日には結納も決まります。まさにあっという間、恋愛結婚が半ば常識となっている現代では考えられないスピード婚です。
そんな急速な生活環境の変化に戸惑う叔子を助けてくれたのは、夫の両親でした。義父と義母は、まるで実の娘であるかのように優しく迎えてくれました。出かける時はいつも一緒で、時には3人で旅行もしたこともあります。叔子も義両親の厚意に感謝し、2人の思いに答えようと頑張りました。現在まで様々な困難があったものの、義父の大らかさと義母の優しさのおかげでなんとか乗り越えることができました。
現在、パッチワーク作家として日々活躍する叔子ですが、その裏には義両親の素晴らしい応援があると言います。芸術家としての成功は、同時に2人への恩返しでもあるのです。

パッチワークキルト作家としての出発

パッチワークを教える金光氏(中央)

パッチワークキルトとの出会いは、叔子が結婚してからのことでした。
元々、裁縫とは縁が無かったわけではありません。母親は手先が器用で、洋服を仕立ててくれたり、夜なべして手袋を編んでくれたことがありました。また、中学一年生の頃には、習い事の他にミシンを買ってもらいました。他にも、趣味で創作人形やアートフラワーを作っていたこともありました。
そんな叔子にとって、パッチワークキルトは全く未知の世界ではなかったと言えるでしょう。程なくして良い作品ができるようになり、いつの間にか教わる側から教える側へと回っていくようになります。30歳の頃には、すでに公民館やカルチャーセンターで講師を任されるほどの腕前に成長していました。次第に彼女の中でより高いレベルを目指す気持ちが膨らんでいきます。
「より本格的なパッチワークの教室を提供したい」
その思いを形にすべく、36歳でアトリエ・カナの開設を決断します。後押ししてくれたのは、夫の両親でした。日頃から叔子を可愛がってくれていた2人は、アトリエの場所としてマンションの一室を提供します。叔子はその申し出に深く感謝する一方で、その応援に答えるべくパッチワークの指導と教室運営に一生懸命励みました。その甲斐もあって教室は人気が高まり、多くの生徒に恵まれます。教室も複数に拡大し、41歳の時には初めて全ての教室の合同展を開催し、1000人以上の来場者数を記録しました。子どもの頃の小さな思い出の編み物の光景が、これほど多くの人々が集う一大イベントになるなんて、いったい誰が想像したでしょうか。
このとき叔子は、その光景を見つめながら、人とのつながりと、一人一人の優しさを改めて感じていました。義両親の大きなサポートがあったことはもちろんですが、幼少期から彼女を支えてくれたのは、他でもない実の両親ときょうだいです。パッチワークのように多くの人々が支えてくれたことで、今の自分があると知ることができたわけです。

現在、そして未来への思い

金光叔子と仲間たち展(岡山ドーム)

折り鶴

アトリエ・カナは、大成功で終わった合同展の後も、順調に発展を続けています。叔子の努力と周囲の協力に支えられ、2011年には岡山ドームを会場に再び大規模な合同作品展を開催。来場者数は、最初の合同展の2倍に当たる2000人を超える大盛況となりました。岡山ドームでの合同展は2018年にも開催され、山陽のパッチワークキルト界におけるアトリエ・カナの存在を強く印象付けた形です。
一方、自らの創作活動では、パッチワークの原点に立ち返ることを意識するようになりました。叔子はその原点について、「楽しみながらゆったりとした作品づくり」と定義します。パッチワークは元々、庶民のつぎはぎ裁縫が、生活を豊かにするための技術として発展した工芸です。振り返れば叔子の人生も、母の縫い物で豊かになった幼少期の思い出が原点にあります。そこから様々な出会いを通して新たな美しさを作り出してきた彼女の人生もまた、パッチワークキルトのようでもあります。
まずはその原点に帰り、再び生活を豊かにするパッチワーク作りに取り組むようです。そして今一度、自分を支えてくれた人々に感謝と恩返しをしていくことでしょう。

 


Profile /経歴

金光叔子 Toshiko Kanamitsu

1958年 岡山県出身
アトリエ・カナ主宰
作品出展国遍歴(JEPAA関連事業):ドイツ、カナダ

Born: 1958 Okayama, Japan
Atelier “KANA” Organizer
Exhibition of Works(JEPAA): Germany, Canada…

 

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