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Interview article /対談記事

 

ゲルマー・トモコ(以下ゲルマー):本日はお越しいただき、ありがとうございます。ゲルマー・トモコです。

蓮見孝子(以下蓮見):初めまして、蓮見です。ゲルマーさんには昨年の日本ヨーロッパ北米三カ国合同交流展でお会い出来なかったので、今回はぜひお会いしたいと思っていました。

ゲルマー:そんなふうに思っていただいていたなんて、私も嬉しいです。今日はその時の展覧会の作品を持ってきてくださったということで、ぜひ解説いただけないでしょうか。
蓮見:最初の一首「文具商に生れて幼より店番に西の内紙鳥の子見分く」は、実家が題材になっています。父親は地元(座間市)で書店を営んでいて、本の他、文具、学校教科書などの取り扱いもしていました。西の内も鳥の子も和紙の名前。自分も週末は父親のお昼休みに店番をしたりしていて、何度も店番を任されているうちに、子どもでも商品の違いがわかるようになっていました。
第三者の視点に立つと、小学生が本屋で専門的な和紙の注文に応えている様子は面白いと思って詠んだ歌です。

ゲルマー:私もこの歌を読んで、色々と調べました。和紙もさまざまな種類があって面白いですね。

書店で子どもが店番をしながら色々学んでいたのは、とても素敵な話だと思います。蓮見先生の短歌はどれも言葉選びや感性が豊かだと思っていましたが、子どもの頃にその下地が作られていたのではないでしょうか。

蓮見:他の方からも、「(文学的な感性は)お父さんに似たのでは」「環境がそう(いった歌人としての活動を後押し)させるのね」とよく言われます。言われるまでそんなことは考えもしなかったのですが、最近では「確かにそんなものかな」と思うようになりました。

ゲルマー:お父さんへの尊敬の念もあったからではないですか。単に店番をしていただけではダメだったのではと思います。蓮見先生の話を聞いていると、お父さんを大切に思っている気持ちが伝わってきますよ。

蓮見:確かに父親のことは大好きでした。尊敬の気持ちも、今ではしみじみ感じます。
次の歌「わが慕うキーン氏に続き夫逝きぬ 願わくば連れ立ちて黄泉路を」。キーン氏というのは日本文学者のドナルド・キーン先生のことですが、先生のことも心から尊敬しています。人づてでお手紙を渡したことがあり、ご本人の手元に届いてくれたら十分と思っていましたら、先生から直筆のお手紙を頂きまして、今では私の宝です。それからも何度かキーン先生にはお手紙を送らせていただきました。でも3年後に夫が病に倒れまして、余命2ヶ月との宣告を受けました。少しでも延命をと祈っていたのですが、宣告から2ヶ月足らずで旅立ってしまいました。その時連絡を受けて病院に急いでいるさなか、新潟県の友人からキーン先生が亡くなったと知らされて…224日のことです。図らずも同じ日が命日になるのも、何かご縁があるのかもしれませんが、その日はただキーン先生と主人、2人で連れ立ってあの世へ行ってほしいと願うばかりで、後日その思いを歌にしました。ところがこの歌が選者賞をいただいたのです。詠んだ時はボロボロ泣きながら、その後も読み返すたびに泣いていました。それが思いがけず選者賞という形で評価されまして、表彰された時も壇上で涙がこみ上げてきて泣いていましたね。そして、本気の悲しみ、真実の感情は、間違いなく他の人にも伝わるのだと痛感しました。

ゲルマー:すみません、お話を聞いていたら、私も涙がすみません。憧れの人と最愛の人を一度に亡くされた悲しみがどれほど辛いか、想像を絶するものがあると思います。でも歌を通して自分の感情と向き合う姿勢には、ただただ頭が下がります。

蓮見:次の歌「「おいしいね」語り合うひとなけれどもわが身養う三度の献立」は食卓のことを詠んだ歌です。以前はその日の献立について、夫とあれこれ話すのが楽しみでしたが、今は独りぽつんとご飯を食べています。仏壇にご飯とお水を供えていますが、いざテーブルに座ると向かい合う相手もいなくて。ものすごく静かなのが落ち着かないんです。寂しさはとても堪えられませんね。それでも食事は人間の体を作るものだから、しっかり摂らなくてはと思うんです。だってもし自分が亡くなったら、夫のことを覚えていてくれてる人がいなくなり、完全に世の中からその存在が消えてしまいます。ですので自分はできるだけ長生きして、夫のことを思い出したり、他の人に話していきたい。少しでも夫が生きていた事実をこの世に留めておきたいんです。

ゲルマー:大事な人を失った苦しみは、何気ない日常の方が強く感じますよね。それは一緒に過ごしていた時間が長いからではないでしょうか。この歌は生きていくという使命感が愛情に裏打ちされていて、その一途な思いはたくさんの人の心を動かすと思います。

蓮見:次の歌「わが背子はほうたるなりや 明滅のあと静やかに姿消したり」
この歌を見た娘から、「ほうたるって何?」と聞かれたことをよく覚えています。城崎温泉には大谿川という川が流れていて、温泉の客はみんな川縁をそぞろ歩きをするんですが、私も城崎に行った時に、日が暮れてから大谿川に沿って夫と歩きました。ちょうど蛍の季節でしたので、たくさんの灯りが明滅していましてね。やがて蛍たちは静かに消えていき、そして夫も消え入るようになくなってしまったなと、そういった心境を詠んだ歌です。

次の歌「とことわにあうことかなわぬきみゆえに なおもさみしきわがみなるかな」
これはあえて全部ひらがなで書きました。この歌は娘が一番褒めてくれたのですが、夫に会いたくても会えないという気持ちに共感してくれたのだと思います。常永遠(とことわ)に会えない寂しさ。子どもだったら「いい子にしていたら会えるよ」とか「願いが叶うよ」とか言ったりしますが、私にはいくら正しい行いをしていても、何をしても、もう絶対に現れてくれないと、しみじみと今更のように再認識したことがあって、歌にしました。

ゲルマー:ドイツと日本で文化は全く違いますが、それを感じる心、喜怒哀楽は同じです。ですから蓮見先生の作品の良さはどこの国でも通じます。共通の気持ちです。

蓮見:ありがとうございます。わかってもらえないと思うのは独りよがりで、みんなおんなじなんだなと思いますね。インバウンドで日本に来られる外国の方々たちが、日本人でも行かないような景勝地や史跡に足を運んでいるという話を聞くと、つくづくそう思います。

ゲルマー:ドイツでは詩の文化が浸透していて、詩を暗記することを重要視しています。年中行事としてはクリスマスが一番大事で、子どもたちはそこで詩を一編暗記してみんなの前で発表していくのが定例になっているんですよ。そんな中で、詩の形体の一つとして短歌や俳句が浸透し始めていて、学校教育にも用いられているんです。

蓮見:ドイツといえば、父親はゲーテが好きで、私はハイネが好きでした。やはり私たち親子は文学が好きなんですね。日本の古典だと平家物語とか奥の細道とか好きで、自分も暗記していました。そうすると、三つ子の魂百まで、全く忘れることがなく、今でも暗唱することができます。また赤穂浪士のドラマを父親と見ていた時のことですが、討ち入り後に四十七士の大石主税が机に向かっているシーンがありましてね、もうすぐ切腹打首になるのになぜだろうと思ったのですが、父親は「もう将来の先が見えているからこそ、生きている間だけでも一生懸命に本を読みたい」と主税が語っていたことを教えてくれて、ぐっと胸に来るものがありました。振り返ると、人生その時々の言葉が胸に残っていて、私を形成しているんですね。

ゲルマー:本当に蓮見先生の人生って、文学に彩られていますよね。とても辛い思いもされてきたとは思うのですが、でも私はお話を聞きながら、とても美しく輝いていらっしゃると感じました。最後になりますが、今後の目標などお聞かせ願えますか。

蓮見:いまパリ展などにお声がけをいただいていますが、やはり作品を出す時には、その場所にあった歌を詠みたいと考えています。今日ゲルマーさんとお話しして、出展する国の人たちも日本の短歌に心を寄せて、会場に来てくださるということをお聞きして、とても嬉しくなりました。ぜひ自分もその国の人が喜んでくれる歌、そこに自分の気持ちも率直に表せる歌を詠んでいきたいと思います。

ゲルマー:本当にありがとうございます。私もこの先生の思いをしっかりと伝えられるよう努力していきたいと思います。

 


Profile /経歴

蓮見孝子 Takako Hasumi

1943年
日欧宮殿芸術協会会員
作品出展国遍歴(JEPAA関連事業):ドイツ、フランス、ベルギー、カナダ他

Born: 1943 , Japan
Affiliate Group: JEPAA
Exhibition of Works(JEPAA): Germany, France, Belgium, Canada…

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