葦ペンを通して、時代と人生を描き続ける
ゲルマー・トモコ(以下 ゲルマー):本日はお越しいただきありがとうございます。JEPAA(日欧宮殿芸術協会)ヨーロッパ支局長のゲルマーです。本日は桑原先生が長年取り組まれてきた葦ペン画について、お話を伺えたらと思っています。早速ですが「昭和おぼろ」についてお聞きしてもよろしいでしょうか。
桑原清水子(以下 桑原):「昭和おぼろ」は、私自身の記憶と深く結びついた作品なんです。学童疎開で埼玉から現在の中央区佃2丁目に終戦後に戻って来たとき、近所のお兄さんたちが戦争で亡くなっていたことを知りました。あれはとても悲しかったです。
ゲルマー:なるほど。幼い頃の体験ですよね。
桑原:この絵に描いている家は、杉並に実在する建物です。見た目はアパートのようですが、三階建ての大きな学生寮だったそうです。散歩をしていたときに、たまたま見つけました。そのとき、この寮にいた若い人たちの中にも、戦争で命を落とした人がたくさんいたんだろうなと思ったんです。
ゲルマー:そうなんですね。目に入った建物で、そこにいたであろう人たちの人生まで思いが広がっていく。私はそれを先生の作品から感じます。
桑原:そうですね。結婚してもう66年になりますが、その間に時代は大きく変わりました。便利にはなりましたけど、失われていくものも多いですね。
ゲルマー:66年という時間を振り返りながら描かれているからこそ、単なる懐古ではなく、実感として伝わってくるのかもしれません。手前に描かれている紫陽花も、とても印象的でした。
桑原:ありがとうございます。今は世界中が不安定な時代になりました。戦争が遠い過去ではなく、身近なものとして感じられる時代です。私は戦争の時代を実際に生きてきましたから、やはり平和であることが一番だと、強く思いますよ。
ゲルマー:おっしゃる通りです。その言葉には、重さを感じます。先生は昭和の頃の面影を、多く作品に残されていますが、それは意識して選ばれたテーマなのでしょうか。
桑原:全てではないですけど、「団地再興」はその意識が強くありました。描いているのは単に工事中の建物ではなく、時代の移り変わりです。人が住み、暮らしがあって、やがて姿を変えていく。その流れ自体を描きたかった。
ゲルマー:新しくなることは、必ずしもいいことだけではないですよね。素晴らしいテーマだと思います。先生の制作を語るうえで欠かせない葦ペンのことについてもご説明いただいてもよろしいでしょうか。
桑原:私の絵の師は私の3人の子供が通っていた杉並の小学校の図工の先生でした。我々母親たちに絵の会を開かれて、区の施設を使って教えて下さいました。はじめの20年は油彩、その後の30年は葦ペン画です。先生のお住まいが多摩川の近くの調布ですので、そこで葦を見つけてペンにして、絵を描くことにしたそうです。それをいただいて、ペンにしていました。一つ採ると、二本くらいペンが作れるんですよ。
ゲルマー:師匠のお住まいの近くに葦がたくさん生えていたことが、桑原先生が葦ペン画を始めるきっかけになったとは驚きました。ご自身で削ったり調整したりする作業はやはり繊細なのでしょうか。
桑原:そうですね、とにかく大変です。最近は90歳を超えて、その作業は相当きつくなってきました。まだペンにできていない葦もたくさんあります。ペンの太さにもいろいろあって、太いものほど扱いが難しいですね。
ゲルマー:そう聞くと、つい一本のペンの背景にある時間を想像してしまいます。一本の葦ペンは、どれくらい使えるものなのでしょうか。
桑原:きちんと作れば、相当長く使えます。すぐにダメになるものではありません。ただ、作品によって必要な線が違いますから、そのたびに新しく作る必要があります。
ゲルマー:線ごとにペンを変え、時には作るなんてすごいです。私はこれまで葦ペンのドローイングを見る機会がありましたが、先生の線には私がこれまで見たものとは全く違う力強さを感じています。
桑原:同じ名前の道具でも、使う人によって出てくる線は全然違います。結局は、その人の身体や感覚が線に出るんでしょうね。
ゲルマー:たしかに、線を見ていると描いている姿まで想像できるような気がします。先生は最初から葦ペンだったわけではないんですよね。
桑原:最初は油絵でした。20年くらいは油絵を描いていたんですよ。
ゲルマー:そこから技法を変えるのは、簡単なことではなかったと思いますが。
桑原:材料(葦)がすぐに手に入る教室にいたことが大きいですね。描くときには力が必要ですが、その力強い線が気に入っていました。
ゲルマー:なるほど。その線に魅了されたんですね。こちらの作品の構図も、線の強さがとてもよく生きていると感じます。
桑原:そうですか。自分ではあまり意識していませんでしたが、長年続けてきて、自然と身についたのかもしれません。理論よりも感覚を大切にしているので。
ゲルマー:感覚を信じて積み重ねてきた時間が、そのまま画面に出ているように思います。
桑原:そう感じてもらえたら嬉しいです。筆と比べたら、棒で描いているようなものですから。線の質はかなり違います。
ゲルマー:実際に拝見して、線の重さや先生の指先にかかる力がそのまま伝わってくるように感じました。先生は、作品をどれくらいの頻度で描かれてきたのでしょうか。
桑原:私は表現派に入っていましたから、年に一度は必ず100号を一枚出さなければいけませんでした。二枚出すことも珍しくなかったです。
ゲルマー:毎年そのサイズを制作し続けるというのは、精神的にも体力的にも大変だったと思います。
桑原:それでも大体一ヶ月くらいですかね。一番大変だったのは、何を描くかを考えること。それがとにかく大切だと思います。テーマが決まれば、あとは必死に描くだけ。
ゲルマー:テーマを考える時間も含めて、制作の一部だったのですね。
桑原:ただ、年を重ねて90歳を超え、指に力が入らなくなりました。今では、描くこと自体がかなり大変です。私の師は95歳ですが、今でも描いて会に出品していますよ。私よりずっと元気です。
ゲルマー:お二人ともすごいですよ。私はフルート奏者でもあるんですが、もう45年近く続けています。私でも大変なのに。
桑原:45年ですか。やるなら、それくらいは続けないといけませんね。
ゲルマー:その言葉には、続けてきた人ならではの説得力があります。今振り返ってみて、制作を続けられた一番の支えは何だったと思われますか。
桑原:私の場合は、もう右手が動かないので描けません。私が絵をやることに主人が何も口出しをせず、自由にさせてくれたのがよかったですね。もちろん家事はこなしてないがしろにするようなことはなかったけど、制作には集中できていました。
ゲルマー:なるほど。理解者がいらっしゃったからこそ、先生の長い画歴があるわけですね。小さい頃から、ものづくりに触れる機会は多かったとお伺いしましたが。
桑原:そうなんです。それが私のおじが左官屋で、江戸では三本の指に入る名工と言われていたんですよ。私の祖父が土の土台を私の目の前で作り海辺の松林を描いてくれました。父もとても器用で、ビリヤード台を手作りして売っていました。父は私が8歳のときに亡くなりましたが、印象深い記憶として残っています。
ゲルマー:幼い頃に見たその姿が、長い時間を経て、今の制作につながっているんでしょうね。最後になりますが、特に思い入れのある作品について伺ってもよろしいでしょうか。
桑原:…選べませんね。発表したものは、どれも神経を使って描いていますから。今後その作品をどうするかは、難しいですね。思い入れがあるから、捨てることもできない。孫が4人いるので、その子たちが私の作品を一点でも残してくれたら嬉しいです。
ゲルマー:きっと残っていくと思いますよ。私たちも先生の作品が、これからも大切に受け継がれていくよう、できることを続けていきたいと思います。本日はお話をお伺いできてとても貴重な経験になりました。ありがとうございました。